現代中国考察

現代の中国に独自の考察を加える。(エキサイトからの引っ越しです)

彭麗媛と言う化け物 

2015-12-02 20:14:49 | 日記
いきなり復活(復刊?)、いきなり本題です。

何時も自問自答しています、毛沢東の妻であった江青と、習近平国家主席にとっての彭麗媛女史の、いずれが「出しゃばり女」かと。

江青は約束を破って政治に口出しし、時に暴走することもありましたが、基本路線に関しては絶対忠実でした。

その証拠に、毛沢東による粛清の対象にならず、その生前において失脚しなかったのは江青と康生だけ、周恩来が頭に浮かぶ向きもあるかと思われますが、あれは粛清しなかったのではなく、出来なかったのです。

江青も彭麗媛少将も踊り子の出身なのは共通していますが、少将殿の場合は「軍戸」に属します。


中国の軍隊は原則として「閉じられた集合」ですが、同時に「開かれた集合」でもあります。

基本的に世襲制で、「民戸」と区別されている点で閉じられていますが、農民の次男坊や三男坊、更には都会の食い詰め者など、社会から爪弾きにされた輩を受け入れる点では開かれていて、一度入ったら、原則として二度と出られない点は閉じられています。

江青は「民戸」でした。

だから毛沢東亡き後、あっさり権力から引きずり降ろされました。

これに対し少将様(山東省生まれ)は、Wikiによれば、14歳で山東芸術学校に、18歳で文芸兵として人民解放軍に入隊、22歳で中国共産党に入党出来たのですから、「パパ」とか「タニマチ」がいると考えるのが自然です。

一方の習近平主席ですが、父親は習仲勲で、今の蘭州軍区に属する軍閥の領袖、それに対し彭麗媛女史の「紀家」は済南軍区、済南に比べれば蘭州は二流軍区、範長竜政治委員も済南軍区出身ですが、蘭州から共産党政治局員にまで上り詰めた者はいません。(調べた限り)

習近平氏は、父親が「軍戸」だったのですが、軍隊における血筋の良さを買われて「民戸」に移った稀有な例で、成金親父が息子に箔を付けるために高学歴を身に付けさせてサラリーマンにする心境に近いと思われます。

対して少将はその肩書通り、今も「軍戸」、済南軍区を後ろ盾にする「強面」です。

要は、習近平氏に象徴される地方政治ボスと、彭麗媛少将に代表される軍閥の連立政権が、今の中国の体制ではないでしょうか。

習主席は三流軍区の出身ですし、「軍戸」ですらありませんから、政治基盤が極めて脆弱です。

軍は夫人を通して意思表示出来ますが(勿論、済南軍区が各軍区の調整役を務めます)、「軍戸」出身の国家主席(兼総書記)は、人民解放軍ですら懲り懲りでしょう。

だから夫人が必要なのですが、軍が政治の第一線に出ることは許されません。

こんな構図ではないかと思われます。

ですから、「二人合わせて一人前」です。

(続く)

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