あさがた日記

不定期更新なのに、日記と言えるだろーか。

立哨員(たちんぼや)

2011年08月23日 | いろいろ

立哨員(←りっしょういんと読むんだそーです。)・・・とな?

初めて耳にする呼びかたで、またその開催されるというイベントも、これまた初めて聞いた(←実行委員のみなさま、すいません)世間知らずの私だった。

ある朝、突然区長さんが我が家を訪れ、私に書類を手渡しながら「近く地元で、こーゆー催し物があり、貴君、ついてはボランティアスタッフとして、ぜひご参加願いたい。」とのことだった。

封筒をのぞくと、そのイベントとやらのちらしのコピーと思われるものが入っていた。

きたかみ夏油高原ヒルクライム 2011 ~がんばっぺ!!東北~

と、あった。

なるほど。

自転車競技・・・か。

自転車なら俺も出よっかなー?などと・・・もちろん考えるはずもない。

張り切って自転車通勤していたのは、かなり以前の春先までで、娘の自転車はガレージのなかで、今ではほとんど触りもしていないからだ。

年齢的にも体力もほとんど落ちていて頑張りも効かず、ヒルクライムどころか平坦地でも今の私では、完走すらおぼつかないだろう。

てゆーか自転車は自転車でも、競技に使われる自転車はまるでカクが違うようで、かなりのお値段らしい。

しかも、参加料なんと6000円!

・・・なにやら別世界の雰囲気。

で、封筒のなかには”地域のみなさまへ”と書かれた、ヒルクライム実行委員会からの、ボランティア参加要請の文書も同封されていた。

私のやるべき仕事は、いわゆる交通整理・・・らしい。

8月21日開催その当日、指定された集合場所に行き、説明を受けた後それぞれのポイントに散り、拘束時間は午前8時から11時までで、最後の選手が通過すると終わりなのだという。

まぁ、あんましむずかしいことはないだろう・・・。

昼飯も出るってゆーし(笑)

ということで快諾し、私はその日を待った。

しかし、前夜には宴席があり(爆)、翌朝起きれるかな~?と心配したが、だいじょうぶだった(笑)

当日朝は、あいにく雲が厚くたれこめていて肌寒く、しかも小雨もぱらついてきた。

しかし、カンカン照りよりは、ましだろうと思った。

指定された集合場所に行くと、↓このTシャツを着ろという。

・・・と、目の前のおとーさんの背中を拝借して、パチリ。

ははは。

で、その揃いのTシャツを着たら、配置図とペットボトルの水を持って、行政区ごとに並べという。

点呼のあと、ミーティングがはじまった。

その配置図を眺めると、どーやら私は、運よく比較的にぎやかな交差点に配置されているようだった。

しかも、同地点の同僚は4~5人のもよう。

たいくつしないな・・・と思った。

しかし、温泉入り口とか橋のたもととか、クマやタヌキしか来ないようなとても淋しいところに、それもたったひとりずつ配置されている、かわいそうな方々もおられた。

文字通り「立哨員(ぽっぽや)←ぱくりです。」といった風情。

いや実は私、そのよーな過酷な運命を、内心覚悟して来てはいたのだったが・・・。

と、無責任に安堵の胸をなでおろしながら、ともかく打ち合わせを終えた私らは、その場で手に手に商売道具の紅白旗を受け取り、それぞれの車でポイントに移動した。

ついたところは、このあたりでは”銀座”と呼ばれる(←うそです)繁華街(いやみではありません。あしからず。)。

もうすぐスタート時間だというのに、自転車で走り回る選手たち。

ほー、あれが競技用自転車というものか・・・(笑)

持ち場でうろうろしながら、見慣れぬ一団に無遠慮な視線をおくる私たちであった。

ってゆーか、自転車競技大会の存在すらろくに知らない、こ~んなどシロウトがこの栄えある大会運営の、一翼を担うのも申し訳ない話だが。

やがて、三々五々ギャラリーも集まりだした。

朝食のあとかたずけを終えた、近郷近在のおばちゃんたちだ。

で、私の前に来て「おめ、〇〇(おふくろさんの名前)のでねが?」(お前は、〇〇のせがれではないか?)

と、どこかのおばちゃん。

でもって、みんな口々に「なんだぁ、みんな、えなだり(近所)のひたず(人々)だじゃ・・・。」と言う。

どーやら、東京から来たスタッフと間違えているらしい。

ま、この方(近所のにーちゃん)は、そんな感じもなくはない。

ともかく、シロウトでもしっかりと任務を全うしなくてはなるまい。

しかし、本物のレースなど観たこともなく、あっというまだという選手通過時の交通整理も、うまくできるのか不安が残っていた。

それぞれ、なんとなく(笑)守備位置についた。

時計をみると、すでにスタートはしているらしい。

まもなく、前走車らしいヘッドライトが見えた。

と、みるみる選手たちが走り込んできた。

というか、通過していった。

最初あっけにとられていたギャラリーの方々も、しだいに我に返った(笑)ように拍手を送って声援をはじめた。

 

 

・・・てか私など、その迫力に圧倒されそうだった。

事前のミーティングでは、いくつかのグループに分けての出走と説明を受けてはいたが、その数570台だというけっこうな数の自転車部隊の波は、しかしあっというまに過ぎ去った印象だった。

その後、下山するまでの間、交通規制は一時解除になり、私たちも休憩となった。

自分の車にもどって休む人もいたが、私はその場でお借りした椅子に腰かけ、向かい側にいる先輩たちの世間話に耳を傾けていた。

すると、そこの床屋さんのかんばん娘さんからコーヒーをごちそうになったり、近所のおばちゃんからはすいかやまんじゅうをごちそうになったりした。

地域密着型のイベントなのだった。

ど~もありがとうございました

やがて下山の時間となり、先導のバイクのあとから自転車群が再びやってきた。

帰りはレースではないとのことで、リラックスムードで下っていく選手たち。

笑顔で手を振ってくれる選手たちで、なかにはカメラでこちら側を撮影される方も。

「声援、ありがとう!」

私は、選手の方々の肉声を聞いた。

そして沿道のみなさんは、口々に「ごくろうさま~!」と声をかけて、選手たちに手を振っていた。

地域のみなさんと手を振りあう、レースを終え緊張のほどけた選手たち。

なんか、こんな交流がうれしい一場面だった。

で、私も夢中になって選手たちに手を振っていた(笑)

会場にもどると、選手の皆さんは食事中だった。

私たちも、ここで昼食を受け取るように指示されていた。

配られたカレーライスは、すんごくうまかった。

そして、その上にでんと乗っかっていた、きゅうりのつけもの(笑)

いつも家で食ってるはずだったが、しかし特別とてもおいしかった。

ここは、統合新築なった地元小学校の体育館。

そーいえば、今回私は初めて入ったかも(笑)

いずれ地域住民として、任務を全うできてよかったなと思った

 

 

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大震災

2011年03月21日 | いろいろ

このたびの地震による、大きな被害を受けられた皆様には謹んでお見舞い申し上げます。

我が家ではおかげさまでたいした被害もなく、のうのうと暮らしておりまして、たいへんもうしわけないくらいであります。

ただ奥さまの指示により、夜は着衣のままでのご就寝(←ははは)

ゆっくりパジャマで眠りにつけないのが・・・ちょっとキビしいかなぁ・・・(笑)

被災地の皆さまに比べたら・・・とんでもない贅沢ものでありますが。

「逃げ遅れたら、どーすんのよ!」

・・・ということなのだそーです。

余震がつづいております。 

それから電気水道石油ストーブの厳しい使用制限であります。

暖房のない部屋は寒いので、ふだんは豆炭こたつがある茶の間にてすごしております。

どーせネットはつながらねーしとパソコンには電源も入れておらず、部屋に行くたびADSLランプが点滅中(←回線がつながっていない)のモデムをうらめしげにながめておりましたが、昨晩よーやく開通したもようなので、思い出したように久しぶりの投稿であります。

もちろん、ガソリンもほとんど売っていないので通勤は自転車です。

しかし娘のおさがり自転車は快適で、サイクリング気分でかえって気持ちがいいくらいです。

で、調子に乗って空港まで自転車で行ってきました。

災害派遣の自衛隊航空機や臨時便などで便数の増えた民間機の発着で、いつになく賑わう花巻レディオ(←趣味の航空無線傍受なのだ)の手際いい女性管制官の声に魅かれて・・・というわけではありませんが(笑)

19日土曜日、気温3度でいつもの自転車通勤スタイル(←なんとスキーウエア)でも違和感なし。

だが晴天で風もなく、近代的な空港ビルに現れた異様な自転車男は、不審者そのもの(笑)

警戒感をあらわにする(うそです)空港職員に素知らぬ顔でトイレに直行。

その後、悠然と自販機にてポカリスエットを購入。

新装なった空港ビルは、今回はじめて訪れたので興味しんしんだったが、しかしいらぬ心配をかけまいとその場を静かに立ち去り、滑走路を一望できる小高い丘に立った。

輸送機やヘリコプターなどがみえた。

弱冠雲は大目だったが、素晴らしい晴天で絶好の飛行日和らしかった。

天気予報で午後から天候が悪化するのは知っていたので、正午前に空港を離れ自宅に向かった。

自転車で来れたことが妙にうれしく、小学生並みに心は浮き立っていたが、ケツは痛かった(笑)

快調に進む自転車だったが、違和感を感じて降りてみるとなんと後輪がパンク!

ここはどこだろう?

ともかく、息子と耳鼻科へ行っているはずのうちの奥さまへ救難信号を発信。

留守電だった(笑)

歩くしかないだろう。

エコな感じが、却ってうれしい気分。

どこへいくにも便利でらくな車で移動は、大量にエネルギーも消費し環境も汚染する・・・などと前向きに思考する(←ははは)

たどりついた自転車屋さんは今は営業していないとかで、もっと南にいかないとないとのこと。

広い田んぼを横切る一本道を自転車を押して歩く。

降りだした雨と、いきなり強くなった風にあおられながらとぼとぼと・・・

ではなく、胸を張って元気よく自宅方面に向かった。

自転車屋さんに着いた。

「こりゃ、タイヤがだめだな。」と、自転車屋のおやじは言った。

タイヤ交換3,800円也。

燃料事情が好転しても、こりゃ自転車生活だな。

家にもどると、「あー、病院でマナーモードにしてた」とうちの奥様、21日夜のチケット(夜行バス?)が取れたから、コンビニ行ってくると娘はその自転車ででかけた。

なんとか、26日からの合宿には参加したいと言っていたが、しかし関東方面は計画停電などで電車はうまく動くのだろうか。

ほんとは1週間程度の帰省予定だったが、友達との予定が合わないとかでもう1週間滞在となり、11日夜予約の某パスタ屋さんでの女子会は、突然の地震でお流れ。

新幹線も高速バスも止まりそのまま在宅だったが、高校の寮に住む息子との連絡やら送迎など、今回とても役に立った娘だった。

地震で電気水道が止まりしばらく電話回線も途絶えたが、なぜか息子と娘の携帯電話は通信ができ、不安でいっぱいの息子を励ますことができた。

終業式を終えた息子は皆勤賞を抱え、娘の運転する車で帰って来た。

直前に電車も復旧してはいたが、あえて予定通り行ってもらった。

ガソリンの残量も心配ではあったが、初心者マークの娘は運転の練習も必要なのだった。

沿岸に住む奥さまの叔父叔母や、仙台市近郊に住む我が家の親戚一同皆無事だった。

今回、被災地の皆さまには申し訳ないほど幸運な私らだったが、せめてエネルギー節約で貢献したいものだなと思っている。

 

 

 

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成人式

2011年01月12日 | いろいろ
おかげさまで、ウチの娘は晴れて成人の日を迎えた。

式典当日朝、外は雪が降っていた。

美容院の予約は、午前6時半とのこと。

その日、”お抱え運転手”を仰せつかった私は午前5時、任務を全うすべくせっせと雪かきをはじめた。

年末年始の湿った雪とちがって気温がぐっと下がったその朝は、ふわふわの新雪だったのでとても軽く雪かきもらくちん♡

大荒れが予想されていたが、強い季節風も前日までだったようだ。

おふくろさんを温泉まで連れて行った前の日は、北国名物地吹雪で一瞬視界がゼロになったりしていた。

明けて去年の12月28日、いつもの高速バスで帰って来た娘だった。

家に帰ってほっとしたのか、毎日起き出すのは昼過ぎのぐーたら状態。

あげくに具合が悪いとかで、なんと今年は恒例の初詣も行かなかった不肖の娘だったが、さすがにその日はすぐ起きた。

朝食を取らせたあと車に乗せ、まるで雪国のよーな(←あたりまえか)雪降りのなかを美容院に向かった。

なぜか(笑)緊張のため食欲のないウチの奥さまも、もちろん同乗。

たぶん、もう頭のなかでは自分が成人式の晴れ着を着る気分なのだろう。

かくて小娘一人に付き人2人の、おおげさな一行は華やかな美容院のドアをあけた。

が、写真(見本用の姪っ子の成人式スナップ)を忘れたとかで、しもべ運転手の私はそれを持ってくるためさっそく雪道を取って返し単身家に戻った。

雪は降り続き、除雪車が汗だくで雪かきをしていた。

道路から飛び出さないように、真剣にハンドルをにぎる・・・。

まぁ、家族の忘れ物はいつものことなので、めげることもなし。

もう、お抱え運転手というよりテレビ局のADといった感じ。

・・・でもないか。

地顔に難があるのか(←ははは)やったら時間がかかり、そんでもってできあがったお顔は別人のようなケバイタヌキ顔(笑)

もう笑うしかないが、最近の流行りなのだろうか・・・。

よくわからん(笑)

ともかく、そのコダヌキを車に積み込んで奥さまの実家へ向かった。

奥さまの姉様(免許皆伝なのだ)が着付けをしてくれる予定だった。

午前9時前だったと思う。

そのころから、雪も晴れて陽が差してきた。

着付けを終えた娘を、それこそ一生に一度の写真撮影をと、こんどは写真館まで連れて行く。

これまた、その日は押すな押すなの大盛況の写真屋さんでありまして、やっとこさ記念撮影を終えたらこんどは家に戻って昼食・・・ときた。

というか、そのまま式典会場に向かう予定だったので、おにぎりなどは持参していたわけだったが、意外に移動がうまくいって順調に推移したので、それじゃー家でゆっくり喰ったほーがい~んでねーかとなったのだった。

そのため、おふくろさんにもゆっくり見せることができた。



この振袖は着付けをしてくれた実家の姉様のもので、もちろん姪っ子も成人式にて着用。

以前にも書いたかもしれないが、実はうちの奥さまも以前着ていた。

もっとも成人式のことは知らないが、それは私らの結納のときだった。

そのときはもちろん気付くはずもないが、あとで写真を見て納得。

着まわし(?)というやつなのだろう。

その由緒ある晴れ着を食べ物で汚さないよう、タオルなどで娘によだれかけ(笑)をしてやり、ご昼食。

あ~んしてと奥さまが食べさせる姿は、そういえばいつか見た風景だった。

そう・・・娘がまだ幼児で、お気に入りのベビーチェアに乗っている。

それは、まるで昨日のことのようだ。

夢のように過ぎ去った年月だった。

かくて”おとな”になってしまったその娘はしかし、そんな親父の感慨など気付くはずもなくさかんにメールのやり取りをしていた。

式典の受け付けは午前11時45分からとのこと。

まだ間に合うななどと、正午をまわってから家を出発した。

風は冷たかったが、陽の光はさんさんとまるで春の日差しだった。

が、やはり会場は渋滞していた(笑)

新成人やら、その家族やらでごったがえす入り口前の道路にて、娘と、慣れない晴れ着で身動きできない(爆)そのわが子の手を取るウチの奥さまを降ろした。

その後車を移動させ、駐車場にて待機。

専任運転手の私は、そのまま車内でゆっくりと読書としゃれこむのであった。

車に持ち込んだご本のお題は”物忘れを90%防ぐ法”。

が、このまえ読み始めたときのしおりを忘れ、どこまで読んだかも忘れた(笑)

もう、笑うしかない。

式典終了後の写真撮影が終わるかな?と思われる午後3時を過ぎても、なかなかお呼びがかからなかった。

本も読み切ってしまったので、うたたねをする。

午後の日差しも暖かく、穏やかな日だった。

電話が鳴ったので、おっと仕事だ・・・と、ふたたび導入路の車列のなかにずうずうしく割り込む。

式典会場から車に乗せて、家に戻る車内で娘が「カラフルで楽しかった。」と感想を述べた。

晴れ着の色のことだろう。

そのとき私も、律儀に車などで待ってたりしないで見に行けばよかったなと後悔した。

家に戻って、娘のデジカメや私の携帯などで写真を撮りっこ。

「もう、思い残すことない?」

と、安心したのか奥さまは笑った。

思えばあっというまの、成人式だった。

その後晴れ着を脱いでお風呂に入り、メイクや髪を戻して午後5時半、市内のホテルで行われる同級会に参加する娘を送って行った。

その後二次会へ・・・なんてぇーこともなく、午後9時前に娘から電話があってそれを迎えにいったのだった。

家に戻る車内で、娘はぽつりと「終わっちゃったねぇ・・・」と、感慨深げ。

お仕着せの通過儀礼なので白けてるのかと思ってたら、けっこう楽しみにしてたんだなと思ってうれしくなった。

老婆心ながらリハーサルやっとけと言っても、なかなか聞かない娘だったからだ。

が、終わりごろになって「やっとコツがつかめてきた・・・」などとこぼしていたのだ。

だーから言ったでねーか(笑)

それから、ぼんやり街の灯りを車窓からながめ「帰るのいやになっちゃったなー」と言った。

翌日はアパートに戻らねばならなかった。

次の日にはさっそく講義があるのだという。

やったら長い夏休みとは違って、冬休みは短いらしい。

冬休みといえば、高校生になって初めての冬休みの息子はしかし、松の内も明けてからよーやっと書き初め。



お習字セットをひっぱりだし、新聞紙に練習中。

課題のひとつ、”新年言志”だとか。

今年の指針となる言葉を、聖書から探し出すのだという。

そしてそのことばを、指定の長い半紙(←なんていうんだっけ?)に筆で書き初めをするという和洋折衷の行事。

息子が通う高校の取り組みなのだそーで、それをみんなの前で発表するのだそーな。

ちなみに、画像のお着物は私の妹のもの。

写真の絵づらが、新春っぽくていいかなと思って(笑)

おふくろさんによると、「こりゃ春のきものだナ・・・」とのこと。

娘の晴れ着のリハーサル用にと、奥のたんすからひっぱりだしてもらったもの。

「〇子(妹の名前)のどぎは、何着たんだったべ?」とおふくろさんが言った。

私らの頃は、夏の成人式だったはず。

だから晴れ着・・・なんてーのは、なかったよーな・・・。

だいいち私とひとつ違いの妹は、すでに二十歳前に嫁いでいた。

だがなぜか一枚だけ、家に残っていたこの振袖。

既婚者には必要ないと置いて行ったのか?

もっとも、着ものが何枚もあるよーな裕福な家ではないが(笑)

冬休みを終えたこどもらはそれぞれ旅立ち、またじじばば3人の静かな生活に戻った。

「なんだが、淋スぐなったな・・・」

おふくろさんが、ぽつりとつぶやいた。



ともかく、新しい年が明けた。

遅ればせながら、皆さま今年もどうぞよろしく





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姉妹ライダー

2010年10月11日 | いろいろ
姉妹と言っても、義理の姉妹。

しかもババァのことだ(笑)

うちのおふくろさんと、私の伯母。

免許更新(←高齢者のためのものらしい)のため、ふたりで連れだって隣町の免許センターへ行って来たのだという。

バイクを並べてツーリングというだが、そのふたりは御歳82と75・・・。

ちなみにバイクと言っても、もちろん原動機付き自転車のこと。

念のため(笑)

いずれそんなのが、交通量の多い公道を疾走していたのかと思うと、こちらの心臓が止まりそーだぞ(笑)

帰りに祈祷所(←なにやら、ひいきにしているらしい)に寄ったのだという。

で、どちらもかなりいい御神託があったらしく、ふたりともルンルン気分でぶっとばして帰ったのだそーな。

先週のことで、内容に差し支えがあるかなー?と思って、記事にするのはためらわれた・・・ということだったが、今日公になったということで書くことにした。

いや、なんとなく胸の内を吐き出したくなった(笑)だけだが。

うちのおふくろさんは、嫁の心配(←先日鼻血を出した、うちの奥さまのこと)

伯母の心配は、その息子(いとこ)の入院だった。

聞くと医大病院とのことで、つまり先日かけつけたその病院に、いとこ(62)はすでに入院していたらしい。

ただ、親戚知人に迷惑がかかるからと伏せていたようだった。

おととい、兄妹(こちらも平均年齢70代後半)みんなして、車を連ねてお見舞いに行ったのだという。

なんでも、快方に向かっているとか。

検査では肝臓らしい・・・とか、腹水が・・・とか、重いらしいと聞いていたので、皆ほっとしているそーな。

そっちより、病院への行き帰りの車やいそいそと向かう祈祷所へバイクのほうが、よっぽど怖いよ。

まぁ私を含め、遅かれ早かれそう遠くなくお迎えが来るわけなので、バイクや車はあぶねーからやめろとも言えない。

達者で動けるうちは、しあわせというものだろうからだ。

私だって、あと20年もすれば70歳代だ。

あっという間である。

そろそろ寒くなってきたので、徘徊(笑)はシーズンオフになるようだが、今日も天気が良くなりそーなので、おふくろさんはまたそわそわしているかもしれない。

そして「どごそごサ、行ってくるがら・・・」と、バイクを駆って出かけて歩くのは、こちらの肝が冷える(笑)

せがれとしては、よそ様にご迷惑にならない程度に・・・と祈るばかりだった







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最終日

2010年10月02日 | 農事通信
今朝、最後の農作業を終えた。



”最後の”というのは、これでここでの作業は終わりということだが、本当に最後なのだった。

終いのあいさつが、例年とは違っていた。

いつもなら「また来年・・・」となるのだが、「どもハ、ご苦労さんだったナ・・・」となった。

お世話になっているこのご夫婦が、今年で米作をやめてしまうのだという。

高齢のためもあるが、あまり使わない動力電源の基本料金が年間7万円もかかってしまうとか、経済的な理由もあるようだった。

春の苗作りから、コンバインによる刈り取り脱穀や、乾燥機や周辺機器による米作りなどをすべて頼り切っていた私らも、同時に米作りから撤退することとなった。

だからいま農協が募集している、来年の肥料や種もみの発注も行わなかった。

このご夫婦同様、近隣の専業農家に一任することに決めたのだ。

我が家の場合、トラクター作業も委託していた2つ年下の近所のあんちゃんだった。

そこには以前から委託していた田んぼも70%ほどあったので、我が家では約98%を委託することになる。

もう我が家は、ほとんど農家とは言えない。

「せっかくハンコ、新スぐスたのにな。あははは。」

と、おふくろさんは笑うが、長年やってきた稲作から離れるのはほんとは淋しいのだと思う。



この出荷用の袋の生産者欄にはハンコが押してあり、以前はおふくろさんの名前だったが今は私の名前だった。

「それでも2回、出荷スたもんな。」

・・・まぁ、こう言ってはなんだがあまり感慨も湧かない私だったが(笑)

おふくろさんは、もう何十年もやってきた出荷作業だった。

お互い歳をとったと腰を伸ばしながら言っていたおやじさんは、私の父とたしか同い年。

もうすぐ80歳では、体力の衰えもいちじるしいのだろう。



また今年の稲はおもいっきり・・・のめった(稲が倒れてしまったということ)

コンバインによる刈り取りも、難儀だったらしい。

刈り取り時巻き込んだ泥に含まれる小石を、いっしょうけんめい拾った今年の米作りだった。



もう畳のように地面に張り付いた稲は、早く刈り取らないと品質が低下してしまうので急がねばならなかった。

隣の田んぼには、来年から委託する専業農家の高性能コンバインがやってきていて、うなりをあげていた。

老いたとはいえ、こちら(いままでお願いしていた御夫婦の)のコンバインも負けてはおらず、ほとんど故障することなく刈り取りを終えた。

おふくろさんに言わせれば、「ほんとに(コンバインが)めんこがった・・・」のだという。



来年からは、ただ眺めるだけの風景になるかもしれない



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