棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

迷いの挙句は

2016-12-13 12:05:24 | 山郷の暮し
昨日は真冬並みの冷え込みで夕刻の散歩道はガリガリと音を立て、水溜りの氷も溶けずにあった。
今朝は4度と平年の朝らしいが、予報の通り冷たい陰雨しとしと。

さて制作のことですが2000年の頭のころ描き始めたが完成できずに、お蔵入りした作品が出てきた。
「連続する生命体」をベースにしたものですが、あまりにも小難しい仏教哲学の「意識とか時限」をテーマにしている。
裏書には「倶舎論より」とあり確かにそれらの解説本を読みあさったことを思い出した。
では、この作品によってそれらのことが思い出されたかというと、影も形もありません。

今見ると、難解な論理を付け焼刃のまま画にしようとした無理があり、結局はおてあげになってしまったのだ。
制作時より10数年たち、倶舎論が多少なりとも解ったので制作が進む、などということではなく、
フットひらめいたのがこの意図ははじめから画にならない。
これは説明画またはイラストであるから、私の意図ははじめから不要である。
むしろ不理解な上での制作は邪魔であったと気がついた。
絵にならないものを、無理やり絵にしようと力んでいたのである。

さて、この画の意味は「異なる時限またわ意識」の多重性を表したものであるが、同一時限でこの多重性は認識できない。
たとえばある時限から別な時限は見ることはできない。
別々なものであるが、それがどこかに存在するということではなく意識のみである。
では意識とは・・・。もーーーわけが解らなくなり、ネットで検索してください。
と言わざるを得ませんが、唯識3年倶舎8年ととてつもない迷路に陥ってしまう。

その結果、結局はどうでもいいことなのである。
そうです、得た結論は「どうでもいいことを表していた」ということです。

ということはオレもどうでもいいのかな・・・。


修正前の画面 黄色の線はチョークにて動きを表してみたもの

追 これからまだまだ加筆することになるが完成には至らないかもしれない。
そんな画でゴンス。
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