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千葉県誕生150周年の裏話 【連載】腹ふくるるわざ㊿

2023-06-17 05:04:38 | 【連載】腹ふくるるわざ

【連載】腹ふくるるわざ㊿

千葉県誕生150周年の裏話

桑原玉樹(まちづくり家) 

 

 

▲チーバ君

 

ナベさん泡(安房)を飛ばす

 先日のダーツの会でのことだった。いつも黄色い自転車で駆けつける陽気なナベさんが口角泡を飛ばして言った。
「君たち、知っとるかね? なぜ6月15日が千葉県民の日なのか? そして当初は千葉県には25の県があったことを……ジョウソウって読むのかな~。ここに菊間、鶴巻……ヤスフサって読むのかな~。館山、長尾……っていう県があったんだよ~」
 と、ナベさんはすべての県名を読み上げた。なんでも松戸にある21世紀の森と広場の「森のホール21」で開かれた「千葉県誕生150周年記念イベント」に参加して仕入れた情報らしい。
 私は「へー」と思った。25の県名を聞いていたら、なんだか千葉県内にあった藩名ばかりだ。

廃藩置県で3府302県に

 廃藩置県では藩を廃止して直ちに現在に近い県を置いたのかと思っていたが、そうではないらしい。廃藩置県令が出されたのは明治4(1871)年7月14日。
 当初は藩をそのまま県に置き換えたため現在の都道府県よりも細かく分かれており、3府302県もあったというから驚いた。いくら何でも多すぎて統制が取れず、地域としてのまとまりも弱いということで、3~4か月後の同10〜11月には3府72県に統合された(第1次府県統合)。
 その後も明治5(1872)年から毎年のように統合が進み、明治9年には3府35県にまでなる(第2次府県統合)。すると面積が広すぎて弊害も出たことから、今度は逆に分割が進み、明治22(1889)年に3府42県になったところでちょっと落ち着いた。

150年前に誕生した千葉県
 
 千葉県の廃藩置県前後の状況については、千葉県のホームページに詳しい。これをまとめると、次のようになる。


・江戸時代の房総には、江戸から近いということもあって、幕府直轄地・藩領・旗本領が複雑に配置されており、幕末には17の藩があった。
・明治初(1868)年には、これらに駿河や遠江から房総に領地を移された鶴舞藩・長尾藩などの7藩と曽我野藩・大網藩が加わり、25藩となった。
・大網藩は廃藩置県令の5か月前に常陸の国に藩庁を移したので、廃藩置県令が出された
明治4年7月14日直前の藩数は24であり、それがそのまま24の県になった。すぐに幕府直轄地と旗本直轄地が加わり26県になった。
・さらに同年の11月には26県が統合されて木更津県、印旛県、新治県の3つになった。
・そして明治6(1873)年6月15日に木更津県と印旛県が合併してついに千葉県が成立した。
・その後明治8(1875)年に新治県が廃止されると新治県の南部は千葉県になり、同時に千葉県であった猿島郡などが茨城県に、葛飾郡の一部が埼玉県に編入されて、ほぼ現在の千葉県、チーバ君に近い形になった。

▲千葉県ができるまで(千葉県ホームページより)

 

 これらの変遷は千葉県紹介パネル(通称「県民の日パネル」)が要領よくまとめてあり、分かりやすい。パネルをそのまま引用しよう。

 

▲幕末・明治初期の房総諸藩(千葉県紹介パネルより、以下同じ)

 

▲藩から県へ

 

▲印旛県・木更津県・新治県の成立

 

▲千葉県の成立

 

▲いまの千葉県のかたちへ

 

 

【桑原玉樹(くわはら たまき)さんのプロフィール】

昭和21(1946)年、熊本県生まれ。父親の転勤に伴って小学校7校、中学校3校を転々。東京大学工学部都市工学科卒業。日本住宅公団(現(独)UR都市機構)入社、都市開発やニュータウン開発に携わり、途中2年間JICA専門家としてマレーシアのクランバレー計画事務局に派遣される。関西学研都市事業本部長を最後に公団を退職後、㈱千葉ニュータウンセンターに。常務取締役・専務取締役・熱事業本部長などを歴任し、平成24(2012)年に退職。現在、印西市まちづくりファンド運営委員、社会福祉法人皐仁会評議員。


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