原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

親族の 「老い」 とどう向き合うか?

2016年09月10日 | 時事論評
 (写真は、朝日新聞2016.8.27 夕刊コラムより転用したもの。)


 上記写真のセリフ部分が見にくいため、以下に書き出そう。

 病院にて入院中の義父の介護をしているらしき女性曰く、  「……お義父さん、もう長くないんですよね?」
 若き看護師氏応えて曰く、  「え‥…ええ」
 介護女性曰く、  「で」  「いつ死ぬんですか?」
 介護女性更に曰く、  「ほら、いろいろ葬式とかお金がかかったり、しなきゃいけないことあるから‥…」
 看護師氏が内心思うに、  「……」 「私の最期は」「一体どんな最後なんだろう」


 この漫画を見て、世代や立場により、思うことはそれぞれ異なるのだろう。

 現在、義母と実母二人の高齢者の介護(保証人)を担当している立場としての私の正直な感想から述べると……

 むしろ  「いつ死んでくれるのだろうか?」  と、本音で思っているのが事実だ。
 いや、もちろん理性では両者共々の人格を最大限尊重しつつ、常にその心理を読み、要求に的確に応えながら最善の対応をしているつもりだ。
 ただ実際、年寄りの相手など何の楽しい事もない。
 特に義母の場合は作り笑いで場を取り持ちつつも、会う都度(早く帰って自分のやるべき事をやりたいなあ)とイライラしているのが現実だ。  と言いつつ、私の場合まだしも恵まれているかもしれない。 義母の財産管理及び税務申告を担当している関係で、定期的に若干の報酬を義母より貰っている事がせめても心の拠り所だ。 (これに耐えたら、カネになる!)その思いが、我が義母介護を支えているのが正直なところだ。
 実母の場合、血縁のため互いに容赦なく会えば大喧嘩になる。 勝気の実母の口癖は 「私は長生きするぞ!」 だが、これを聞かされる都度イラつく私だ。 (ちょっとアンタ、介護者の立場になってものを言えよ。 「いつまでも貴女に迷惑を掛けないため出来るだけ早く死んであげるね」と言ってくれる方がよほど嬉しいよ!)と、喉元まで出かけるのを何とかこらえる私だ。


 その実母が、ついに施設入居と相成った。

 6月に郷里へ行き、実母の高齢者施設入居促進活動をしてきた私だが、さすがの実母もその私の“働き”に感動した様子だ。 「〇子がせっかく多忙中帰省して私のために施設見学等をしてくれたお陰で、私も施設へ入居する気になった」と言う。
 そして昨日実母より電話があり、「私が一番入居したかった有料介護施設より連絡があって、10月1日より入居出来る事となった。」
 「それは良かったね!」と応え、私は早速実母の施設への引越のため航空便とホテルを手配した。 またもや10月には郷里への小旅行だ。 今年は旅行続きだが、とにかく実母が素直に施設への入居を決断してくれた事実に今は安堵している。

 ただし、何処の高齢者施設も同様のようだが、入居後「家に帰りたい」と言い出す高齢者が多数のため、3ヶ月間は事実上体験入居の形式を採用している様子だ。 そのため、今回はあくまでも“簡易引越”であり、3か月後には実母の意向を確認の上に、またもや郷里へ“本格引越”あるいは“家へ舞い戻り”のために私は小旅行に出ねばならない運命にある。
 まあそうだとしても、今回実母がいとも素直に娘である私からの施設入居の勧めに従ってくれた事だけでも評価出来よう。


 話題を冒頭の写真漫画に戻そう。

 若き世代の看護師氏は、義父の介護をしている女性が「いつ死ぬんですか?」と問いかけた事実に自己の「死」の場面を悲しく思い描いた様子だ。
 そして、この漫画を描いた(未だ26歳との)漫画家氏も、それを「非情」と捉えている様子だ。
 
 未だ「介護」の現実を知らない世代がそのように感じるのは、至って正常な心理状態なのであろう。
 ただ、ここでもう少し思考を発展させて、現在我が国が置かれている高齢化社会の現実を直視して欲しい気もする。
 漫画内でつぶやく義父氏を介護している女性の発言は、私に言わせてもらうと至って「正論」だ。
 介護段階ももちろん壮絶で大変だが、被介護者の死後、疲れ果てた心身状態でその葬儀もつつがなく担当せねばならない運命が介護者に待ち構えているのだ。 それのみならず、相続問題やそれに追随して発生する親族間での相続争い……  それらに耐えねばならない介護者の役割とは被介護者の死後も実に壮絶だ。 
 ところが人間の死とは、悲しい事に突然やって来る。 もしも「いつ死ぬか」がある程度分かれば、それに備えて準備(心の準備も含め)も可能だ。 (例えば我が義理姉は3年前に膵臓癌にて壮絶死を遂げたが、医師の判断により余命がある程度分かっていた。 これぞ遺族にとって葬儀準備等が好都合だったことを思い起こす。)

 若き世代にとっては、「いつ死ぬんですか?」との問いかけを“冷淡・非情”と受け取ることも理解可能でもある。
 ただ、死後残される介護者に課せられる過酷な業務にも少しは思いを馳せて欲しい。 
 誰かが死んでただ泣いて済ませられるのは、その人物に対して何らの責任がない者に限られる事を今一度理解して欲しい。
 壮絶な介護で苦しめられた親族が、その人物の死後直後に葬儀の準備に奔走させられる事実に少しでも思いを馳せてもらえれば、決して “泣いて済ませられない” 現実を理解可能かと期待したい……


 冒頭写真漫画のテーマである、若き世代が「自分の最期が一体どんな最期か?」に関して論評するならば。
 未だ若き世代が高齢者の介護を任される訳はないであろう。 ただ、もしも自身の親族に高齢者を抱えているのならば、それを介護している親族や施設を見学する事も後学となろう。
 私など、娘に時間があれば必ずや義母が入居している介護施設へ同行させている。 加えて、義母や実母の現在の様子を暇があれば娘に伝えている。
 何よりもサリバン母である私が実母介護のために郷里へ旅立ち数日間家を留守にする事が、娘(亭主もか??)にとって、一番こたえているのではないかと推測している。 

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