原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

左都子も昔は左利き♪  - vol.2 「左利きは天才か?」編 -

2017年07月08日 | 自己実現
 私は幼稚園児の頃、どういう訳かはさみ使いが大の苦手だった。
 今思うに、それは生まれつき左利きだったらしき私が、右効き用のはさみを使用させられていたからに他ならない。
 当時ははさみと言えばすべてが右利き用に作られていて、「左利き用のはさみ」など(特に我が郷里の過疎地で)販売されているはずもなかった。


 私が生まれつき「左利き」だったらしき事実に関しては、本エッセイ集2011.2.7バックナンバー「左都子も昔は左利き♪」に於いて公開している。

 以下に、その一部を再度披露させて頂こう。

 私のペンネーム 「原左都子」 (はら さとこ) の“左”の字は決して“左利き”から取った訳ではないのだが、私は幼い頃どうやら“左利き”だったようだ。 (参考のため、原左都子の“左”の漢字は「右に倣え」「右向け右」などと他者から指示・強制された場合、“左”を向きたくなる我が“天邪鬼”気質等々を表現したものであります。)
 幼き頃の私は、親が私の自由にさせると何をするにも必ずや左手を使っていたらしい。
 “箸”に関しては、親がそれを最初から右手に持つよう矯正したとのことだ。 (その矯正によほどの無理があったのか、未だに“箸”を上手に持てず人前で恥を晒している私である。)
 クレヨンに関しては、苦い思い出がある。
 私自身にはその思い出に関して一部分を覗き明瞭な記憶がなく、後に母より伝達されたエピソードの範囲内なのだが、以下に我が幼き日の失敗談を紹介しよう。
 未だ幼稚園へも入園していない幼児(おそらく3歳頃)であった私は、親の知り合いの新築家屋落成記念会合に一家で招待された。 1階で飲み食いしつつ盛り上がる大人達が子供は2階で遊ぶように指示し、私もその子供の一人として2階で遊んでいたようだ。 会合も終焉に近づいた頃、子供達の様子を見ようと2階に上がった新築家屋の奥方が真っ青になって1階に戻り我が母に訴えたそうなのだ!
 「お宅の〇〇ちゃん(私のこと)が、クレヨンで部屋一杯に落書きした!!」と。
 それを聞いた母は「うちの〇〇はおとなしい子で、そんな事をするはずはないのだけど…」と弁解しつつ2階に上がって仰天したのだと言う。  なぜならば、新築2階の部屋の壁や床一面に私の氏名がひらがなで多数書き込まれ、左手にクレヨンを持った私がそこに存在したからである。 
 当時の我が母としては用意した紙に“お絵かき”でもさせるつもりだったのが、幼き私は2階の部屋全体を“キャンバス”と履き違えたようだ。 新しい畳そして白くてまっさらで綺麗な壁に私が書きたかったのは絵ではなく文字であったということである。(当時まっさらな新築家屋の“キャンバス”に感激した記憶は、私にも僅かながら残っている。)
 その落書きを見て別の意味で一番驚いたのは我が母であったようだ。 新築家屋の主に平謝りしながら床や壁を拭きつつ、親が知らない間に我が子が既に自分の氏名をひらがなで書けるまでに成長していて、しかもわずが3歳にして左手で書いたその字は実に正確で美しかったのだと言う。
 その“事件”をきっかけに今後私が幼稚園へ入園するに先立って、クレヨンを右手に持たせる矯正に乗り出した我が母であるようだ。
 今に至って尚顕著なのが“雑巾しぼり”である。 さすがにそこまで矯正の面倒が見切れなかった母であろうが、私の雑巾しぼりは“逆回転”で特異的だ。
  その他の事例として私の記憶にあるのは、小学生低学年の頃“かぎ針編み”という編み物に挑戦したことに関してである。  自然体で取り組んだ私は、やはり左手にかぎ針を持っていた。 そして器用に私が編む姿を見た母から「よくまあ左手でそんなに上手に編めるね!」と指摘されて初めて、私は左手で編んでいたことに気付いたものだ。(これもその後右手に直したのだが…)
 それにしても、私は今となっては左手はまったく利き手ではない。 握力も高校生の頃から右手が勝っていて左手の握力など実に乏しい。 
 「左利き」の人の中には両手が器用に使えるという話も耳にすると、どうして我が親は両手共に器用な人間に育ててくれなかったのかと不満をぶつけたくもなると言うものだ。
 今の時代「左利き」とは矯正するべきなのかについては学者達の間でも論議される課題だ。  某大学教授も以下のような論評をしている。 「無理に変えない方がいいが、幼児期に子供が強い嫌悪を示す場合を除いて右利きへの変更を試行してもいいのでは」
 この論評は、今の時代の右利き社会に適合するべく子供を育てる観点からはごもっともな指摘と同感する。
 ただ私論としては、子供個々が持って生まれた特質に任せて欲しい思いが強い。
 なぜならば幼き子供とは言えども個々が千差万別であるからだ。 周囲の指導により“子供が右手への強い嫌悪感を示す”かどうかに関してさえ、大いに子供の個性による。  私など、幼き頃から周囲への客観性の配慮にばかり焦点を置いていた記憶があるが、この種の子供とは我が意に反して親や教育者の指導に従順とならざるを得ないのだ。 すなわち、親や指導者が「右手を使え」と指示したならば、自分の不快感を押し殺してでもそれに素直に従う道を自ずと選択して、後々内面にストレスを溜め込んでしまうのである。
 朝日新聞記事によると、何を基準として“左利き”を判断するかも困難とのことだ。 これに関しては、医学経験のある原左都子にも十分理解可能である。
 そしてそれを踏まえた上での単純な判断によると、世の“左利き”とは1割の確率であるそうだ。
 各人の器用な手が右であっても左であってもよいのはもちろんの事、本来ならば両者が共存し得る社会が築かれるべきだが…  とは言え、どうしても近代社会のシステムや論理とは多数派が尊重されてしまうのが辛いところだが。
 (以上「原左都子エッセイ集」バックナンバーより要約引用したもの。)


 今回、私が「左利き」をテーマとして再度エッセイを綴ろうとしたきっかけは、ネット上で「左利きは天才肌」と題する、一見して信憑性が疑われそうな記述を発見したことによる。

 そのネット記述の一部を要約して以下に紹介しよう。

 「左利きは天才肌」。 このような噂を、誰しも一度は耳にしたことがあるものではないだろうか。 やや信憑性の薄いデータのようだが、ロシアの生物学者アレクサンダー・デュボフ博士によると、左利きの人は、右利きの人よりIQが高い傾向にあるのだそうだ。
 現在、人類のうち10人に1人は左利きなのだそうで、その計算でいくと世界には左利きの人が約6億人いる事になる。 博士によると、“超能力者”と呼ばれる人はほとんど左利きだそうで、また左利きの人は芸術的な能力にも恵まれるのだとか。
 また、「左利きの人口が増えることによって、人類は進化を遂げる」とのこと。
 そしてアメリカの大学研究者達により行われた、「人生において、左利きのほうが成功をつかみやすいのではないか」という研究もある。 全米経済研究所に発表された博士たちの論文によると、大卒の男性は、左利きのほうが右利きより約26パーセントも高い給料を稼いでいることがわかった。 ちなみに、右利きか左利きかで収入に差が出たのは男性だけで、女性にはこの差はみられなかったそうだ。
 日本では、はさみにはじまり自動改札機など、さまざまな道具が右利き用にデザインされていることが多いため、左利きに生まれるとその不便さから右利きに矯正されてしまうことがよくあるようだ。 しかし、左利きの個性を生かすべく、無理に矯正しなくてもよい、という声も多いようだ。
 ちなみに、左利きの有名人はというと、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ピカソ、ニュートン、アインシュタイン、ビルゲイツ、坂本龍一、松本人志、野口聡一 などなど……。 たしかに天才が多い気がする。
 (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)


 最後に、原左都子の私見でまとめよう。

 おいおい、ネット情報さん、ちょっと待ってくれよ。

 我が尊敬申し上げるアインシュタイン氏は別格としても……
 特に日本人の天才として挙げられている人物達を、安易に「天才」に分類してしまっているその“”いい加減さ”の程はどうしたものか!?? (野口聡一氏とは一体誰だ?? はい、今ウィキペディア情報を調査してガッテンしました。 未だ若き世代の宇宙飛行士氏ね。) 確かに野口氏は天才域の人物かもしれないが、後の日本人を「天才」に分類するのは無謀と私は判断するのだが!??

 更に反論したいのは、当該ネット情報では「左利き」に生まれて天才に位置付けられるのは「男性」のみみと結論付けている点だ。
 ただこの点を原左都子が考察してみるに、要するに“女性の左利き”著明人に関してはデータが少なく分析不能との事だろう。

 「左利き」  =(イコール) 「天才」。?? 
 この議論自体が、信憑性が問われて然るべきであるのが歴然だとしても。

 とにかく、少数派の「左利き」人種がこの世に生きる不便さを少しずつ是正しつつ、その個性を認め皆が共存出来る世界を築く事こそが先決問題、という事だろう。
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