原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、
自己のオピニオンを綴り公開します。

子の「親」ではなく「母」であらん事を強要された苦悩の時代

2017年07月13日 | 教育・学校
 5月の事だっただろうか。 我が家も電力自由化の流れに乗り、東京電力からガス会社への電力とガスの一本化を図った。
 (参考のため、その理由とは福島第一原発事故の後処理もままならまいまま、反省も無く責任逃れを続けている東電の企業姿勢・体質に対する反発以外の何物でもない。

 その契約の際に我が家にやって来たのは、私と年齢がさほど変わらない風の女性担当者だったのだが。
 女性担当者曰く、「電力を我が社に切り替えて頂くと、様々なメリットがあります。 (中略) 契約してweb会員に登録して頂くと、例えば、無料で料理レシピが閲覧できる等のメリットもあります。これが奥様方に人気で、どうのこうの……」

 すぐさまその会話を遮って私が曰く、「根っからの料理嫌いなもので、私の場合はそのサイトを見る事は一生ありません!」と少しイラつきつつ不機嫌に即答した。 (いやはや、女を掴まえると何で営業マンとはこういう風に料理の話題を出したがるのか?!? )と不快感を露わにしている私に気付いた女性担当者が応えて、「そんなもの見なくても、台所に立てば手と頭が直ぐに動く方もいらっしゃいますよね…」
 私が応えて、「いや私の場合はけっしてそうではなくて、元々我が生き甲斐の中の料理の優先順位が極めて低いということです。 料理をする時間がもったいなくてしょうがないというのが正直なところです。 料理をする時間があるのならば、その時間を自分が欲する有意義な事柄に裂きたい、との話です!!」

 こんなところでやたらに“熱弁”せずして気が済まない程の、「真正料理嫌い」の私だが。
 担当者氏は最初は驚いていたようだが、さすがに契約をまとめねば! との方針に切り替えた様子で、その後は料理の話題を一切出さずして契約締結に持ち込み、我が家を去って行かれた。


 ついつい前置きが長引いたが、今回のテーマを綴るきっかけを得たのは2、3日程前に見たNHKテレビ番組による。
 その番組内で、エッセイスト・小説家 山崎ナオコーラ氏著作の「母ではなくて、親になる」と題する今年6月に出版されたばかりのエッセイ集が話題に取り上げられていた。
 
 山崎ナオコーラ氏とえいば、朝日新聞コラムにエッセイを連載していた時期があったため、我が記憶にある。
 それを毎週読んでいた我が感想とは、「人間とはほんの少しでも名が売れると、このようにエッセイを新聞連載出来ていいよなあ。 無名人が如何にあがいてもそんなチャンスは皆無なのに…」

 そのエッセイのタイトルだけNHKテレビで聴いた私だが、まさに我が親としての時代も“母であれ!” と強制される事態に苦悩させられた出来事の記憶が蘇ったのだ。

 現在我が娘は社会人2年目に突入し、日々真面目に誠実に自らの仕事をまっとうしてくれているため、今となっては “親である前に母であれ!” と私に向かって意味不明に強要する人物も皆無となり、そんな馬鹿げた発言から解放されていると言えよう。
 それでも、「ウェブで料理のレシピを見よ!」と強制されるだけでも、我が五臓六腑からメラメラと反発心が湧き出すほどの抵抗感が内存している体質の私だ。

 自己弁護になるが、それも自然の成り行きと診断する。 何分、高齢にて我が子出産直前まで独身の立場で、自らの生き甲斐を追及し続けていた身だ。
 子どもを産んだからと言って突然周囲から「母」である事を強要されようと、私はそれまで通りの私でしかなかったという話だ。
 幸いな事に、娘誕生直後時期には周囲の誰からも私が「母」である事を強要された記憶が無い。
 と言うよりもっと厳しい課題に苛まれた我が家に於いて、私は「サリバン」業を全うするべく運命にあった。


 そんな私が「親であるよりも母であること」を強要され始めたのは、我が子を集団生活現場に入れた後からだ。
 今となっては “笑い話” の範疇かもしれないが。 
 我が娘を入園させた幼稚園で「餅つき大会」との行事があった。 その役割分担として「PTA役員の男どもが表舞台で餅をつくから、役員母親連中は皆、裏で餅を丸め、後片付けをせよ!」との指令だ。 
 過疎地出身の私だが、餅を丸めた経験が皆無なれば、餅をついた器具の洗浄経験も無い。 
 そんな中、娘と同級生の母親達が物凄い勢いで餅を丸めているではないか!! 初体験の私としてはそれに追随するしかない。 訳が分からないまま男がついた餅を必死で丸めつつ思ったのは、(もしかしたら、世の女性陣とはこういう作業に自分のやりがいや業績を見出しているのかもしれないのか!??)
 それが証拠に、その作業をすべて終えた後に母親達を統括していたPTA役員女性曰く、「本日は我々母親の業務を貫徹出来ました。 皆さんの働きのお陰で子ども達も父親たちも満足出来ました!」 との喝采の言葉だった記憶がある。


 「親であるよりも母であること」を強要される経験は、娘が小学校入学以降もずっと続く。

 「原左都子エッセイ集」に於いて、学校のPTA活動に於ける 「父親の会」 の存在をバッシングしたエッセイを何本か綴り公開している。
 その主旨とて、この表題の一課題だ。

 娘を私立中学へ通わせた後も、どういう訳か学校側は「父親の会」なる不透明な会合の酒の席で在校生の父親の意見を聞きたいのだと言う。 それに反発した私が、「母親とて意見がある故に同席させて欲しい」旨申し出たものの、返答はなしのつぶてだ…。
 おそらく学校側の論理とは、「母からなど何も得るものはない。 母親は学校のために下働きしてくれさえすれば十分。」に行きつくのだろう。
 

 私よりずっと若い世代のエッセイストであられる 山崎ナオコーラ氏も、子どもさんを生まれたのだろうか?
 その育児経験に基づき、「母であるよりも親であること」を欲しておられるのであろうか? 
 著名人となられている貴女の訴えは、既にNHK番組内でも放映されている。
 
 何はともあれ、現在還暦を過ぎている高齢出産母である私にも、「親であるよりも母であること」を強要された時代が長く辛い(と言うより違和感を抱かされる)事態だった感覚があるのだ。
 
 それでも子どもの成長と共に、そんな意味不明の苦悩から解放される事実を現在堪能しつつある。
 そんな今、「母」でも「親」でもなく、「私」であらん歴史を取り返せる未来が再来するのか!?! なる期待感すらある。
 その期待感を実現するもしないのも「私」次第であろう現実を、見つめねばならない時が迫っている感覚もある。
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