原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

母親への復讐

2017年05月15日 | 人間関係
 「復讐」とまで表現すると何やら物騒な気配が漂うが、ご自身を産んでくれた母親に対し100%愛され続け、そんな実母を今でも尊敬していると高らかに宣言出来る人々とは、少数派ではなかろうか?
 (そんな奴が実際存在しているとするならば、天邪鬼の私など単なる“マザコン”かとせせら笑ってしまいそうだが…


 朝日新聞5月13日付別刷 「悩みのるつぼ」 の相談は、40代女性による 「受けた傷を母親に分からせたい」 だった。
 早速、以下にその相談内容を要約して紹介しよう。

 もうすぐ50歳になる会社員で、結婚し子供もいる。 私はAC(アダルトチルドレン)で、父はアルコール依存症、母は私に当たり散らしつつ、つねる、たたかれるのが普通の幼少時だった。 4歳で初めて自殺を考え殺鼠剤を飲もうとした。
 小さな頃からバカ、ブサイクなどと言われ、自分をそう思ってきた。 けれど現実には私は頭もよく、見た目も平均以上に良かった。 努力して奨学金で進学した。 32歳で今の夫と結婚し、悩んだ末、子どもも産んだ。 ありとあらゆる本を読み、最高の母親になろうとした。 
 努力は実を結び、子どもは虐待など縁の無い性格に育ち、優しい人になった。 そんなある日、母から「あなたがいい子育てをしたのは、私がいい親だったからよね」と何気なく言われショックを受けた。 
 今更自分が受けた傷を話して老いた母を苦しめたくもない。 ただ、黙っているのは辛く、時にノートに自分の苦しみを書きつけている。 私には持病があり、あまり長くない。 ノートは死期が近づいたら処分しようと思っているが、私の人生って何だったのだろう? 人生の先輩に聞いてみたい。
 (以上、朝日新聞「悩みのるつぼ」相談内容を要約引用したもの。)


 引き続き、社会学者 上野千鶴子氏による回答 「自分でつくりあげた人生に誇りを」 の一部を要約して紹介しよう。

 貴女は母親を反面教師にしてそうはなるまいと歯を食いしばって頑張って来たからこそ、良い母親との評価をお母さんより受けることとなったが、母親を反面教師とした事がお母さんには通じないし、そう伝える事も出来ない。
 言っておくが、たとえ口にしても母親には通じない。 私にも似たような記憶がある。 母の死の床で思い余って「お母さん、私は家を出てから自分を必死で育て直したのよ」と言った時の母のセリフ。 「なら、私の子育てがよかったんじゃないの?」 母という名にゃ勝てやせぬ。 そうです、ほとんどの母はモンスターだ。 この怪物の辞書には「反省」という語彙はない。
 貴女にももしかして、そのモンスターが潜んでいないか? 子育ての最終評価者は子ども自身。 貴女の娘さんは母親としての貴女をどう評価しているだろう? もう少し娘さんが大人になったら聞いてみるといいかもしれない。 子どもとは母と祖母との関係をよく見ているもの。 
 ともあれ、貴女は両親から学んでそれとは違う家庭を築いてきた実績がある。 貴女が自分でつくり上げた人生に誇りを持とう。 いずれ娘さんも、貴女から学んで貴女とはまた別の人生を歩むだろう。 その娘を祝福してあげることが出来たなら、貴女はよい親だったと言えるだろう。
 柄谷行人氏のことば「子育てには、成功がない」。 すべての親がこのくらい謙虚ならいいのだが。
 (以上、「悩みのるつぼ」上野千鶴子氏による回答より一部を要約引用したもの。)


 原左都子の私事に入ろう。

 上記の相談者、回答者両者が記している文面内のエピソードが、我がエピソードと偶然にも見事にダブるのだ。 それに関して述べさせて頂こう。

 まずは、相談者が「小さい頃からバカ、ブサイクと言われた」との部分。
 私の場合「バカ」と言われた経験は皆無だが、美人との誉が高かった姉と比較されて相対的にブサイクだと言われたような被害妄想がずっと脳裏に残っていた。
 それを上京後郷里へ帰省した際に、母に確認せずして済まされるはずもなかった。 
 「郷里にいた頃、美人の姉と比較して私の事をブサイク女扱いしていたよねえ?!?」
 そうしたところ母からすぐさま返ってきたのは、「そんな事誰も言ってないよ。 むしろ我儘で手に負えない姉よりも、特に小学校高学年以降は“スラリとして綺麗な頭のいい子”と妹の貴女の方こそがずっと世間の評判が良かったよ。 それ、あんたの被害妄想以外の何物でもないよ。」とのご回答。 私応えて、「もっと早く言ってよ!」
 その後私が郷里へ帰省する都度、母は「貴女が中学生の時に誰が氏か(実名)が貴女を美人で頭が良いと褒めてたよ~~」等々を繰り返してくれる。 つい最近実母が現在暮らす高齢者介護施設へ行った際にも「貴方が大学生の時に嫁に貰いたいと、誰それ(実名)が親の私に願い出た事を思い出したよ」と、昔のエピソードを語ってくれたりする。 (あまり言われ過ぎると逆効果だし…
 と言う訳で、私の場合は当該事案に関しては既に一件落着している。
 相談者も、私のように思い切ってお母さん相手に「私の事を昔バカ・ブサイクと言ったよね!」と、過去に言われた事実を自身に対する誹謗中傷と判断するならば、本気で問い詰めては如何だろうか。 それすら不能ならば、もしかしたら相談者の親子関係は真に深刻なのかもしれない。

 もう一件、次は上野千鶴子氏のご回答内容から。
 上野氏が死に瀕したお母上に対して告げた「お母さん、私は家を出てから自分を必死で育て直したのよ」との言葉と同様の発言を、郷里の母へ幾度となく発して来た。
 「私はねえ、上京後単身で自分という人間を自分の実力で作り直したのよ。 幸い上京後良き人間関係に恵まれた私は、これ程までに成長したよ。 私は上京したからこそ成功を掴めることが出来たと実感している。 申し訳ないけど、郷里に舞い戻るなどあり得ないからそれを覚悟しておいて。」 
 その我が忠告に従い、現在は郷里の介護施設へ素直に入居してくれている実母に感謝だ。


 最後に、私論でまとめよう。

 私自身も不具合を抱えて誕生せざるを得なかった娘を持つ母親の身になった後には、郷里の実母と娘の成長段階に於いて様々な厳しい軋轢を繰り返した。(当エッセイ集バックナンバーにてそのバトル状況を幾度も公開している。) その苦しい時代が20年程続いただろうか…‥
 堪忍袋の緒が切れそうな時など、本気でこの親と縁を切って捨て去ろうか!!と幾度も考えたものだ。

 ただ、時の流れが解決してくれる課題も多い事を今になって実感したりもする。
 上に記載した通り、現在実母は郷里の高齢者介護住宅にて平穏無事に暮らしている。 母曰く「〇子(私の事)が勧めてくれて介護施設へ入居して本当に良かった。 ここで私は長生きして一生暮らすから安心して。」といつも電話で私に伝えてくれる。 
 あの人(我が実母の事だが)、実は元々良き人物だったのかもしれない、などと自分の母親の事を長年経過した今再びプラス評価する事が叶うような現在だ。

 朝日新聞相談者女性も、もしも叶うならば今のうちにもっと積極的に実母であるお母様と直接話し合いを持たれては如何だろうか?
 それが例えバトルになったとしても、話し合わずして時を過ごすよりも、遠き未来にずっと良き解決策が見出せるような気が今の私にはするのだ。