原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

三浦半島めぐり旅 - 横須賀軍港めぐり編-

2017年01月08日 | 旅行・グルメ
 (写真は、横須賀港で “ご当地クルーズ YOKOSUKA軍港めぐり”に乗船し、観覧船から見た空母ロナルド・レーガン。)


 三浦半島方面旅行に出てから既に一週間以上が経過し、駆け足で綴る我が「三浦半島めぐり旅」旅行記もこれが最終編となる。

 
 冒頭から、空ロナルド・レーガンに関する情報をウィキペディアより引用しよう。

 空母ロナルド・レーガン (USS Ronald Reagan, CVN-76) は、アメリカ海軍の航空母艦。 艦名は、第40代アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンにちなんで付けられた。 存命中の人名が付いたアメリカ合衆国で3番目の空母である。
 ロナルド・レーガンは1998年2月12日にニューポート・ニューズ造船所で起工した。 就役式典で、レーガン夫人は艦の乗員に対して伝統的な指令「Man the ship and bring her to life.(総員乗艦、艦に生命あれ)」を命じた。 本級に命名された他の人物と違って、レーガン元大統領はその任期中に最高司令官であった以外に海軍との関係はなかった。 艦の建造費は度々増加し結局45億ドルが費やされた。 2003年7月21日に処女航海を行った。
 レーガン元大統領は艦の就役から11か月後の2004年6月5日に死去した。
 2006年1月29日、オーストラリアのブリスベン南東200kmの海域で、夜間に着艦訓練を行おうとしたF/A-18戦闘攻撃機がフライトデッキに激突し、その後海へ落下するという事故が発生した。 
 2011年3月11日、東日本大震災後に他7隻の艦船と共に支援活動「トモダチ作戦」のためとして関東〜東北沖に出動した。 同年3月14日、搭載のヘリコプターの要員17人が仙台市近くで救助活動を行った際に福島第一原子力発電所事故の影響か、被曝したことがわかった。 これを受けアメリカ海軍は、空母と展開中の艦船を福島第一原子力発電所の風下から離脱した。 2011年4月4日、ロナルド・レーガンは「トモダチ作戦」での任務を終了し、震災前に行っていた任務に復帰した。
 2014年1月16日、アメリカ海軍は、横須賀基地配備のジョージ・ワシントンを定期点検および燃料棒交換のため米バージニア州に移動し、交替空母としてロナルド・レーガンを充てると発表した。 2015年8月31日、横須賀に向けサンディエゴを出港、10月2日から横須賀基地に配備予定だったが、天候の悪化を避けるため、10月1日に入港した。
 2015年10月18日、安倍晋三首相は米海軍横須賀基地に配備された原子力空母ロナルド・レーガンに乗艦した。
 (以上、ウィキペディア情報より空母ロナルド・レーガンに関して一部を引用したもの。)



 さて、我が横須賀旅行に話題を戻そう。

 横須賀を語るには、米海軍基地を抜きにしては話が成り立たないであろう。

 繰り返すが、決して断じて軍艦趣味など一切無い私だが、横須賀に訪れたならば、米海軍基地や日本の海上自衛隊の軍艦類を見学せずして帰れないと横須賀軍港めぐりを志した。


 上記、空母ロナルド・レーガンに話題を移すと、その建設総額は日本円に換算して国家予算規模ではなかろうか?
 このような超存在物を作り上げる経済力がある米国に今更驚愕すると共に、これを作らねば国際平和が望めない地球の混乱状態を再確認させられる。
 当空母が、2011年3月11日、東日本大震災後に他7隻の艦船と共に支援活動「トモダチ作戦」のためとして関東〜東北沖に出動し、同年3月14日、搭載のヘリコプターの要員17人が仙台市近くで救助活動を行ったとの事実に関しては、一国民の立場でお礼を申し上げるべきとして……
 2015年10月18日、安倍晋三首相は米海軍横須賀基地に配備された原子力空母ロナルド・レーガンに乗艦した。  とあるが、安倍氏は何を目的に空母に乗艦したのやら……


 いずれにせよ、横須賀とは、他の日本の地に比しても特異的で興味深い地だった。

 我が過去に通った大学・大学院のすぐ近くに、このような特異的な地が存在している事実を改めて実感させられ、遅ればせながら少なからずの衝撃を受けた今回の旅行だった。

三浦半島めぐり旅 ― 三浦半島の海編 ―

2017年01月08日 | 旅行・グルメ
 (写真は、三浦半島最南端近くの左湾に位置する油壷の海を撮影したもの。)


 何と言っても、他の日本の半島同様に三浦半島の海も美しい。


 対岸に薄く写っている半島は、おそらく伊豆半島であろうと想像する。
 三浦半島より、葉山、逗子、鎌倉、茅ケ崎、平塚、小田原、熱海を経過した先に伊豆半島が位置している。


 
 写真は、油壷から見た海を撮影したものだが、横須賀から見た海も美しかった。


 観光地には必ずや100円玉を投入すると遠方が見渡せる望遠鏡が設置されているものだ。

 今回横須賀港でこの望遠鏡を覗いて、驚かされた事がある。

 それは、望遠鏡の倍率が昔に比して格段に高くなっている事実だ。
 例えば横須賀三笠公園から猿島やもっと遠くの島を見たら、これが何と! 人の動きまで見てとれるのだ!!

 これ、個人情報に抵触しないのだろうか???
 なる、余計な心配をさせられたりもしたものだ。

三浦半島めぐり旅 ― 愛すべき小動物編 ―

2017年01月08日 | 旅行・グルメ
 (写真は、三浦半島南端左側に位置する「油壷マリンパーク」にて飼育されているカワウソを私が撮影したもの。)


 「三浦半島めぐり旅」の続編を綴ろうとしていたのに、他エッセイへの寄り道が過ぎ、旅行後すっかり日数が経過してしまった。 
 気を持ち直して、本日中に旅行記を綴り公開完結を目指そう。

 
 ズブの写真素人 原左都子が撮影した一枚にして、冒頭写真のカワウソの表情が何とも可愛らしく素晴らしいでしょ!?!

 このカワウソちゃん(くん?)はちょうど食事中だった。
 飼育員氏が投げる魚をキャッチしている途中で動きが激しかった中、偶然撮れたこの表情である。
 (他にも、チビカワウソちゃんや猫背で突っ立っている子ペンギンを撮影した写真を、我がFacebookページに先行公開しておりますので、よろしければご覧下さい。)


 油壷マリンパークへ行くのは、今回が2度目である。
 以前行ったのは今から約20数年前、我が長き独身時代終盤の頃である。 当時仲良しだった同じく独身の我が腹心の女友達と二人で油壷まで出かけ、マリンパークへ立ち寄った。

 その友が4年前の冬にくも膜下出血にて一人暮らしの自室で突然死を遂げた事件に関しては、本エッセイ集バックナンバーにて紹介している。
 まさに私にとって生涯に於ける唯一無二とも言える腹心の友だった。 
 娘のサリバン業にある程度メドがついたら、また二人で一緒に旅に出たり飲食をすることを楽しみにしていたのに……  その矢先の事件だった。 

 彼女は我が教員時代の先輩で理科教師だったのだが、真に動植物を愛する人物だった。 生前は世界中を旅し、珍しい動植物を見て回っていた。  これからもやりたい事が盛沢山! が口癖だった彼女が、若くして不覚の死を遂げてしまった……。 
 一緒にマリンパークを訪れた時も、私よりも無邪気にはしゃぎつつ、動物達に関する専門的解説をしてくれた記憶が鮮明だ。
 
 そういった事情もあり、彼女も可愛がってくれた娘を引き連れて、三浦半島を訪れたら今一度油壷マリンパークへ行くことを目指していたのだ。


 同じく三浦半島上部に“八景島シーパラダイス”が何年か前にオープンした影響を受け、今や油壷マリンパークは大幅に顧客数を減らしているかに見える。
 施設が老朽化し、動物たちの展示も減少している感を抱いた…。

 そんな中、特にカワウソの飼育・展示に力を注いでいるようだ。
 園の右側半分を「かわうその森」と名付け、油壷マリンパーク独自の飼育法で観光客を楽しませる演出をしていた事が一番印象的だ。