【一口紹介】
◆内容紹介◆
「君は、僕の足もとを照らしてくれる光なんだ――」
その作家は、夫人と別居して女優との生活を選んだ。
没後20年、初めて明かされる文豪の「愛と死」。
師であり、伴侶。23歳年上の安部公房と出会ったのは、18歳のときだった。
そして1993年1月、ノーベル賞候補の文学者は、女優の自宅で倒れ、還らぬ人となった。
二人の愛は、なぜ秘められなければならなかったのか? すべてを明かす手記。
【目次】
プロローグ
第一章 安部公房との出会い
第二章 女優と作家
第三章 女優になるまで
第四章 安部公房との暮らし
第五章 癌告知、そして
第六章 没後の生活
エピローグ
【本文より】
玄関に脱ぎ捨てられた見なれぬ靴と杖。部屋に灯りがついている。寝室に人の気配。そこには暖房を目いっぱい高くして、羽毛布団にくるまった安部公房がいた。去年のクリスマス・イブ以来の再会だった。
「ホテルまで探しにいったのよ」
「こんなに早く、ここへ帰ってこられるとは思わなかった」
「ここまでのタクシー代は持っていたの?」
「ポケットの小銭を渡して、まだ足りなくてゴソゴソやっていたら、運転手、諦めてドアを閉めて行っちゃった」
「マンションの表玄関の暗証番号、よく覚えていたね」
「玄関前でうろうろしていたら、顔見知りの住人が開けてくれた」
一月の夜の寒空の中、しばらく佇んでいたらしい。
安部公房が、ぽつりと言った。
「新田くんが結婚させてくれるって」
◆内容(「BOOK」データベースより)◆
その作家は、夫人と別居して女優との生活を選んだ。没後20年、初めて明かされる文豪の「愛と死」。
◆著者について◆
山口 果林
女優。1947年、東京都生まれ。桐朋学園大学演劇科を卒業後、俳優座入団。桐朋学園時代より安部公房氏に師事。芸名「果林」は安部氏が名付けた。
1970年、森川時久監督『若者の旗』に初出演しデビュー。1971年、NHK朝の連続テレビ小説『繭子ひとり』でヒロイン役を務める。
俳優座、安部公房スタジオを中心とする舞台、『砂の器』ほかの映画、多数のテレビドラマに出演している。
【読んだ理由】
好きな女優さんだから
【印象に残った一行】
安部公房の死の経緯がスポーツ新聞に掲載されたことで。「山本山」のコマーシャルから降板させられたのはショックだった。マネージャーは呼び出され謝罪したという。謝罪すべきことだったのだろうか。私の二十五年間は償うべき人生だったのだろうか。
使者を弔うのに三回忌、七回忌、十三回忌という節目がある。時の流れが残された人間を癒してくれるという先人たちの知恵だろう。私の場合は、立ち直るまでに十三年かかった。
安部公房が亡くなって以来遺族からは一切、連絡は入らなかった。蚊帳の外に置かれ。まるで私が存在していなかったかのような世間の空気だった。この間、安倍公房の人生から消された「山口果林」は、ひとり生き続けた。
2013年は、安部公房没後二十年にあたる。私は。人生の後始末を考える年代に突入している。透明人間にされた自分の人生を再確認出来れば、違う最終章を作れるかもしれないという淡い期待もある。
【コメント】
「繭子ひとり」がNHKの朝の連続ドラマで放映されたのが1671年から1972年。この時はじめて
可憐な山口果林を知りファンとなる。本書によればその時既に妊娠・・・・。
最後に脱稿後、著者が善福寺川緑地の桜の木の下を散歩する記述があったが、以前東京にいた頃、この近くの単身赴任寮に住み、私もよく散歩した道を懐かしく思い出した。