ブログモドキ666

雑感や日記もどき

特例会見を憲法問題にする危険

2009-12-21 16:59:30 | Weblog
続きを書く。
国事行為以外の全ての公務についてどういうルールがあるのかを明らかにする必要性が生まれてくるだろう。
30日ルールが外国要人のものならば、その他の公務はどういうルールだろうか?
そういう疑問が国民の中に生まれてくるのは当然だろう。
憲法違反だといえば、当然そこに比較対照するべきものがいる。
徹底的に討論するべき問題だと国民も考えるだろう。
国会以外のところで、マスコミを使ってもいいだろうが、国会で議論抜きに憲法問題を処理しようとすれば、国会の存在意義は失われることになる。
徹底審議は、皇室全般に及ぶことになるだろう。
そんなことをすれば、国民が何があっても30日ルールを厳守する皇室に対して、どんな気持ちが生まれるだろうか?
親近感が生まれるのは、そんなルールを知らないで、例えば被災地を訪問して、お見舞いの言葉を掛けられるからだろう。
外国に手の内が知られているからと言って、国内は全く国民も知らなかった。
当然このルールを知ったがために、その他の公務私的行為まで、どうなのだろうか?
そんな疑問も表に出るかどうか別として生まれてくる。
自分達と関係ない世界だと割り切れればいいが、国民と皇室の距離を引き離すことにもなるだろう。
象徴天皇制の基盤がゆっくりと崩れていくだろう。
ある意味国民がそのことに関して議論するべき時かもしれないが、それをやれば、大きな変動がおきる可能性も出てくる。
正月明けから、国会が開かれて、経済状況社会状況で大変な国民にとって、他の公務も30日ルールで、動いている皇室を見てどう思うだろうか?
人間なんて比較してしまうものだろう。
恐れ多いことであるなんて考える人たちは、少ないだろう。
今ある危機に向かうべき時に、国民の中にむなしさを植えつけることに繋がらないだろうか?
不信感が生まれてくることの可能性は高いと思う。
宮内庁長官や自民党が、民主党憎しで国益を重視していないと思わざるを得ない。
国民のなかに亀裂を走らせて、その亀裂を補修する為に、皇国史観国家神道を持って来たい人たちにとってはいいだろう。
本当はそのほうが狙いかもしれない。
やや陰謀論的だが、しかし現実にその可能性がでてきた時日本は暴走するだろう。
焦りからこぶしを振り上げたならば、どうおろすか考えているのだろうか?

「総意」を崩す「政治利用批判」

2009-12-20 12:58:03 | Weblog
先の続きを書く。
政治的中立を守るために、ルールを作ったと報道されている。
よく理解できないが、会見等の日程調整、つまりは、集中しすぎるとどこかの国に対して、断りをする必要がでてくる。
それは当然、政治的な判断になるし、その判断に基づく会見は非常に政治的なものとなるという理由だろう。
つまり政治的な判断を表に出すのを防ぐために、避けるために、作られたルールだろう。
実際の日程抜きにルールを厳格適用しないと政治体中立が犯されていく。
実際の日程抜きにルールを曲げれば、それが政治利用だという意見まで出て来る始末である。
そもそも政治的利用であり、其処に出来るだけ、支持的判断をはさまないように、出来たルールである。
本末転倒である。
簡単に言えば、状況判断が難しくなるのを防ぐために、ルールを作ったのにもかかわらず、状況判断よりもルールを優先するべきだということだろう。
これでは、国際情勢は動き続けるのに、適確な情勢判断を政治家に求められているのに、それよりもルールを重視せよというに等しいと思う。
もしも国会で取り上げる事になれば、
実際の運用はどうであったかという調査をやらざるを得なくなる。
実際時間が有り余るほどありながら、ルールを厳格に適用したために外国の要人との会見を断ったという事例が出て来る可能性はないだろうか?
政治的中立という観点を厳格に運用したために、国益を損なう事になったのではないだろうか?
そんな事まで調べる必要性を感じないのだが、自民党は憲法違反を理由にしている以上、そんなことまで明らかにしなければいけなくなる。
手の内を晒してまでも、やる必要があるのか?
非常に疑問であるし、それをやる事自体、政治的に意味づけられてくるだろう。
それが、皇室全体の日程までも明らかにしなければなくなる恐れがないと断言できるのだろうか?
例えば、あの日の会見行事が、何件であれば。政治的判断でなくなるのかまで、判断しようというのだろうか?
過去の事例までも調べだすと、限がなくなると思う。
一般の国民の中に、皇室に対する政治的判断をしろと強制する事になる。
それが国民の総意という事にひびわれを起こす事につながることを恐れないらしい。
もしそれが狙いならば、それほど恐ろしい事はない。
もしも日程を国民が見て、議論が国民におきてしまえば、情勢よりも天皇か天皇よりも情勢かという議論が起きてしまうだろう。
もはや其処には、総意は無くなる。
憲法で国民の総意という言葉を使用するのは、総意はすなわち多数の意見でなく、正に総意だからである。

天皇会見問題「儀礼」が「国益」に優先する?

2009-12-16 09:54:59 | Weblog
今回のいわゆる天皇会見問題について書く。
宮内庁がどのような論理で動くべきかは、法律で決められている。
簡単に言うと「儀礼」の論理である。
国益と言うのは、政治の論理である。
今回の問題は、「儀礼」の論理で動くべき役回りの人間が、
要請が政治的かどうかと言う判断をしてしまったことにある。
法律で規定された宮内庁の役割もいわゆる、国事行為や外国使節への接受と規定されている。
そこに「儀式」と言う文言も盛り込まれている。
憲法や法律に規定のないルールを根拠に、それが政治的かどうかを判断すれば混乱が起きるに決まっている。
政治の論理で、要請されたものを、儀礼の論理で裁くことが、宮内庁の役割だろう。
政治的な役割をより少なくする為にもそういう規定を設けている。
しかし、宮内庁長官が、国民が判断するべきだと問題提起までしている。
どちらを優先するべきかと言う憲法問題まで議論させるつもりらしい。
もしそうならば、自らの論理を、根拠を持って述べるべきだろう。
それは当然ながら、職を辞してするべきである。
法的な根拠を持って、その役割即ち権限を与えられている以上、その法的な根拠を超えて、権限を振るうことは、あってはならない。
なぜならそれは、自らの職の根拠になっている法律の否定であるからである。
「国益」を守る為に、政治と言う大きな役割があり、その一部の「儀礼」の部分を宮内庁が負ってているのである。
「儀礼」が政治的な部分と全くかけ離れた部分にあるわけでは無い。
だからこそ、「国民の総意」と言う根拠があり、選挙があり、という構造をしているのである。
宮内庁を政府と対等にしたいのならば、そういう問題提起をすればよい。
それは国民の総意を問えばよいのである。
ルールが有るから、あたかも対等であるかのように誤解してはいけない。
それがあくまで、政治的な理由で、儀礼を行うという意味で、調整する為のルールであって、宮内庁が行政の長であるところの内閣総理大臣と対等であるわけないのだから。
しかし、テレビマスコミの報道の仕方には驚く。
政治という大きな論理の中の儀礼という小さな論理に振り回されてしまっている。
「儀礼」を国民の総意以上のものと考えるのは、個人の自由であるが、それを全国民に押し付けるのは、止めてほしいし、まして、政府の一員であるならば尚更だろう。
キャラクターとしての小沢氏と「論理」は別である。
論理を離れて、政府が動き出すと「国益」を大きく損なうことになるだろう。

「新」について思う。

2009-12-14 12:15:13 | Weblog
今年の漢字が「新」に決まったらしい。
「新」という漢字の使用数や物事を表すのにふさわしいと受け入れられたのだろう。
アメリカでのオバマ演説で使われていた「チェンジ」とどこか似ている。
「改革」ではない部分は、少し日本のほうが、大きいと思う。
人間は「細胞」という視点から考えれば、「新」らしくなって、いつも「チェンジ」しているという。
でも自分では変わっている感じもしない。
何故だろうか?
人間が認識できる環境は、何時も安定しているわけでもないのに、「安定」してほしいという願望が、回りの環境を見る目を決定して、認識しているのかもしれない。
でも、それでも確実に成長を続けていけば、周りを見る目は確実に変化していく。
「新」でありながら、「旧」でもある。
その両方を持つ為の変化の仕方は、様々な偶然と様々な必然との組み合わせで決定するのだろう。
「希望」「失望」「自信」「自信がない」なども、DNAのような、いわば大きな螺旋の分子が繋がり大きな組み合わせの中で生まれてきたものである。
つまり「新」といっても、全てを脱ぎ捨てたわけでもない。
「明治維新」「文明開化」全てを脱ぎ捨てて出来たわけでは無い。
今度の民主党政権もまたそうである。
「新」即ち「不安定」ということでは無い。
「新」型インフルエンザでの対応は、「国民皆保険」という制度を維持しているおかげで、完璧と言えないまでも対策を打てている。
日米同盟にしても、普天間問題だけで、日米安保が崩壊するわけが無い。
何が「新」で、何が「旧」かと色分けしていても仕方が無い。
全体を見ながら、全体が機能していることを前提にしてみるべきなのだろう。
でもなかなか、大きな視点で見ることが出来ないのも人間である。
自分を振り返ってみればよく判る。
小さな視野しかない自分が、結構大きなことを言っていると何時も思う。
自分の戒めの為にいっている部分も元気付けの部分も有るのだろう。
言葉に出してみれば、客観的に自分の言葉を味わうことも可能である。
そこでの味わいは、必然的な部分も偶然の部分も有って、また面白いものである。
結局他人との対話と言いながらも、自分と環境との対話であり、必然部分がより大きければ、言っている事の本質を掴むことがたやすいのだろう。
それは勿論「関係」と言うものの中に含まれているし、そこから「偶然」と言うものも生まれてくるのである。
必然ばかり求めて、偶然を無視するのならば、そこに必然が生まれでないことになる可能性が強いように思う。

歴史は「国家の歴史」か「民族の歴史」か?

2009-12-08 10:55:37 | Weblog
今日12月8日は真珠湾奇襲の日であり、いわゆる太平洋戦争の始まった日である。
前から少し気になることがあるので書いておく。
明治以降の日本は、どのような「国家」を目指していたのか?
という根本的な議論を今までしていたのだろうか?
日本人がまたは「民族」としての日本人が、朝鮮を侵略して中国を侵略して、という考え方やその否定形は、日本という「国家」と「国民」というものをどこか置き忘れている気がする。
民族という概念は、ものすごく古い気がするが、もともとキリスト教の概念の拡張だと思う。
この民族という概念を使って、植民地支配や収奪を正当化しているのは、歴史を詳しく見れば判るだろう。
さて本題である。
日本は「多民族国家」を目指したのか「単一民族国家」を目指したのか?
古代より「日本」には多くの「渡来人」が入ってきている。
それは日本という「器」や「国家」の形であり、質であると言って良いだろう。
戦国時代なども含めて、「国家」の形は、「多民族国家」であったと思う。
明治維新の主役の薩長にしても、下級藩士としてではあるが、多くの朝鮮人技術者が入っていると思う。
そして明治維新の原動力は、国家の形が崩れた「清」というものの情報が引き起こしたといってよいと思う。
「国家」の内実を充実する為の「富国強兵」である。
だから、台湾朝鮮半島の「日本国」へ拡大もそういう視点もあるのだろう。
でなければ、他の西洋諸国の植民地支配と明らかに異なる、インフラ整備など行わないだろう。
その延長線での「満州国」であり、大東亜という思想だろう。
この国の「形」「器」が壊れてしまった情勢での「民族主義」が起こったのが、中国である。
勿論その規模としては小さいが、朝鮮半島でも起きている。
それは敗戦に拠る占領東京裁判などの日本でも起きたのである。
つまりは、「国家」の形が大きく崩れたかどうかでその規模は違うのだろう。
しかし、中国や韓国北朝鮮が「民族主義的国家観」の教育を押し出しているからといって、そもそもそれに同調する必要性を私は感じないし、歴史を見れば、日本が「多民族国家」であったことは紛れもない事実であると思うからである。
祭りにしても日本語にしても、その文字を使う人間がいなければそもそも広まらない。
日本人が中国に多くの留学生を送り、学んだことも事実だろうが、それ以上に多くの中国朝鮮の人間が、「器」としての日本に入ってきていると思う。
実際「鎖国」がそもそも、「人」が目的であったことからも明らかだろう。
これは明治天皇も昭和天皇も「国家機関説」を採っていたことからも明らかだろう。
何が結論かというと、日本の歴史は、「国の形」の歴史であり、民族の歴史では無いということである。
続きはまた後日