尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

憑依から多重人格へ

2017-06-20 11:13:42 | 

前回(6/13)は、「多重人格」についての優れた考え方を紹介しました。それは、人間というものはある程度の「多重性」を生きているのが普通の在り方であって、そこに生まれる葛藤や矛盾となんとか折り合いをつけて自己を維持する力が備わっていることを意味すること。そして「二重人格」や「多重人格」と呼ばれる症状においては、その力が弱まったために人格の統合性が薄まってしまうことを言うのでした。さていよいよ『「腹の虫」の研究』第一章「言葉を発する「虫」」の、最終節「「応声虫」とは何か──精神医学的検討」も大詰めです。第一章の著者はこれまでの精神医学的検討のまとめに際し、多重人格の疾病史について簡単に触れています。馴れない専門用語が多く使われているので、その簡単な意味を〔 〕で補って引用します。

 

≪「応声虫」現象の歴史的意義をより鮮明にするために、多重人格の疾病史について、ここで簡略に触れておくことは有益であろうと思われる。多重人格の原型は、シャーマン的人格変容と憑依状態〔たとえば恐山のイタコによる死者の口寄せ〕である、とパトナム(F.W.Putnam)が言うように、その歴史は人類史的パースペクティヴ〔展望〕を持っていると言えるだろう。欧州文化においては「悪魔憑き」(demonic possession)が、多重人格の歴史的前駆体〔前段階〕となったことは、多く指摘されている通であり、エレンベルガーも、多重人格の症例が諸文献に登場するのは、憑依現象が消滅してから後に限られる、と指摘している。この際、憑依の二形式(覚醒憑依と夢遊憑依)と多重人格の二形式(同時性多重人格と継時性多重人格)との類似性が見られるだけではなく、どちらにも「顕在性」と「潜在性」の場合があるという共通性を挙げて、憑依と多重人格との近さを強調している。さらに、エレンベルガーは、「これまで何百年、何千年にわたって頻繁にみられた憑依現象を、多重人格の一変種と考えることも可能なのではあるまいか」との見解を示している。

 わが国で、「応声虫」の記述が多くなされたのは江戸期であったが、その頃ヨーロッパにおいては、人間の心のありようについての見方が大きく変ろうとしていた。その引き金になったのは、メスメル(F.A.Mesmer,1734-1815)の「動物磁気説」に基づく磁気術およびそれから進展した催眠術の実践と研究であった。人を催眠状態に導くと、新しい人格が出現するという事実が、人の心に対する見方を変えたのである。第一は、人間の心の二重性という概念、すなわち「二重心性」(dipsychisme)あるいは「二重自己」(double-ego)という考えであり、第二は、人間の心を多くの下位人格の集塊(シュウカイ)とする「多重心性polypsychisme」であった。すなわち人間の心の深層、識域(意識が明瞭な範囲)下への探索へと向かい、おびただしい学説を生み、やがては精神分析の誕生を迎えることになるが、この歴史的変遷については、エレンベルガーが大著『無意識の発見』において詳しく論述しているところである。≫(前掲書 四七~八頁)

 

簡単に整理しておくと、(1)多重人格の疾病史のうえでは、永く続いた憑依現象は「多重人格」という症状と理解されてきたこと。このような人間の心についての見方が変ったのは、(2)メスメルの「動物磁気説」に基づく磁気術とそこから進展した催眠術において、人を催眠状態に導くと、新しい人格が出現するという事実の発見によるものだったこと、(3)この「変化」は二つあり、①人間の心の二重性であり、②人間の心を、多くの下位人格が寄り集まった状態と考えたこと、(4)その後、人間の心のありかたに関する研究は、人間の無意識の研究に向かうことになります。

 

ここで私の関心をそそるのは、人間における「心の二重性の自覚」という問題です。中国や日本でのこれまで読んできた「応声虫」の話も含め、狐憑きなどの憑依現象に接する人々の内には、その「虫」や「霊」が自分の分身だという自覚がなかったのかどうかが気になります。「霊」はともかく、「虫」は身の内という認識を自覚する契機になったのではと思っているのですが、再読する必要がありそうです。もう一つは、メスメル(メスマー)の立てた「動物磁気説(メスメリズム)」への関心です。この考えは、「人体はすべて宇宙に満ちているガスの一種である動物磁気の作用下にあり、体内においてこの磁気の不均衡が生ずると病気になる」(平凡社大百科事典)というものですが、彼は最初「ニュートンの万有引力の法則やケプラーの法則をもとに、惑星軌道を決定している遠心力や引力の身体器官に体する影響を主張していた」(同前)といいますから、ここには天体のリズムと、人間の生理的なリズムや暮しのリズムとのあいだには、なんらかの同期関係にあることが示唆されています。ですから、将来、人間の精神現象を天体のリズムとの同期関係で、あるいは人間同士のそれによって説明する議論が、出てこないとは限らないと思っているのです。

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