尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

思考の機転をもたらす「キッカケことば」への眼差し

2017-01-03 14:35:29 | 

 前回(12/27)は、庄司和晃の「子どものコトバと行動についての諸考察」の第七章「子どものコトバの中に折り目をさぐる」、第Ⅱ節「ウサギへの予想コトバ案」を読み、この試みの意義を考えました。資料をとりちがえていたので、ブログの終末部を修正しておきました。さて、今回は「Ⅲ 問いかけコトバ案」を紹介します。「問いかけコトバ案」はいわゆる「発問」と似ていますが、その目指すところはどこなのか。庄司は具体的に説いています。 

問いかけコトバ案

 柳田国男氏は地方をめぐって民俗探訪の折り、村の人々にさまざまなことをたずねるわけであるが、子どもに何かをたずねるときだけは、あめ玉1個を子どもの口にほうりこんでから、にこやかに話しかけたそうである。先生のポケットにはいつもあめ玉袋かキャラメル1箱かがひそんでいたわけである。

 なんでもないようなことではあるが、見知らぬよそ人に対する子どもの口ごもりを自然なかたちにもっていこうとする苦心のテダテといっていいだろう。

 子どもは新しいことがらにであうと、たいてい心のくぼみにおちいるものである。つまり、かまえてしまうのだ。いっときの不安定な心のありさまといってもよい。

 そして、ひとたび、こういうところにおかれると、何とかしてそこからぬけだそうとする心のいとなみがはじまる。そこには自分をかたくまもるタイプの子どもがあり、せめるタイプの子どももある。また、にげるタイプの子どももでてくる。

 そのとき、ポンとあまいものが口のなかにほうりこまれると、またたくまにカタンともとのありさまにたちかえってニッとほほえみをうかべる。

 たしかにお腹の満足とまでいかなくとも口の満足は子どもにとって、じゅうぶんなる心の満足であるらしい。子どもはおとなほど充足したい要求がすくないからであろう。

 右のエピソードにまつわることはこちらからの問いかけコトバ以前のものであるが、軽んずることなく踏まえておくことは忘れてならないことだ。

 さて、子どもにモノを問うとき、または文にものしてあたえるとき、どんな問いかけコトバがぴったりしてふさわしいか、についてふれていってみたい。

△1年生△

「これ知っているか」

とか、

「これを見たことがあるか」

とかの問いかけコトバが主となってくるであろう。「どうしてか」というような因果の理の方向へ強くもっていくことは無理なようである。

文にものするときには1つのセンテンスに1つの問いかけがのぞましい。たとえば

「どのようにして・・・?」

「どんな役に・・・?」

「どんなことが・・・?」

というふうに。

 △2年生△

「きみたちはとることができるか」

「とったらどうしようとするんだ」

「あなたはどうしてやろうとするか」

などの問いかけコトバを相手になげかけてもたえられるところまできているようだ。

2年生は1年生の「とってちょうだい」という心のしくみとちがって、お母さんおじさんからはなれて自分でどこそこにとりに行ってみたい、道具は自分でつくりだしてくるというこどもたちである。

トノサマガエルの大きいやつを水槽にいれて飼おうとする2年生がいたら、

「きみ、うまくいくと思うかい、トノサマガエルはとびだすんだよ」

とこちらから口だしすれば、

「じゃー、どうするの、やってちょうだい」

というコトバではなく、

「こうすりゃ、いいんだろう」

と大きなサラかガラスの板でも、そこらからすぐに運んでくる子どもたちでもある。また、文にものしてあたえるときもつぎのように1つのをらくにいれることができるようになってくる。

「・・・を使うとどう見えるか」

「・・・のちがいは・・・によって・・・?」

「・・・と・・・でどうちがうか」

「どんな・・・がどのように・・・?」

 △3年生△

それがどうなんだ?」

「それがどういうことなんだ?」

3年生は相手の正体を何とかしてつきとめようとする。したがって、こういう問いかけコトバをもって、しばしばわたりあわないとたくましく伸びようとしてきた芽をつみとることになる。

「それが」ということは相手がどうなんだ、ということである。

「ここがこうなっているから動くのか、なーんだ」

という3年生のこどもにしたいのだ。

 △4年生△

それでどうなんだ?」

だいたい4年生後半から、この問いかけコトバにたえられるようになってくる。いくつかをあげてみて「それで・・・」という問いかけコトバをさしはさむことがたいせつで、ほうっておくと、ばらばらな知識修得にとどまって科学的な思考態度がつちかわれない。

子ども自身も1つ1つでなくひっくるめて語りあってくる時期でもあるので「それで・・・」というコトバがふさわしいわけだ。

子ども側からも、

これだってマッチだよ」

「いや、ちがう

「いや、おなじだ」

というようなコトバもしきりにでてくるようになる。また、

「はえは昆虫か」

という類別認識も登場してきて、いわゆる科学的思考の線が強くでてくるようになる。

そして、こちらからの問いかけだけでなく子ども自身も「それで・・・」というコトバも使い始めてくる。

そういう時期をもってわれわれはスジミチたったものごとの処理能力が一応できかけている、と判断するのである。

 以上、全学年にわたってのべてきたが、このへんでもっともはっきりした折り目を示す3年生を、イモリを見たときのコトバ群からうきぼりにしてみたいと思う。≫(庄司和晃「子どものコトバと行動についての諸考察」『コトワザの論理と認識理論──言語教育と科学教育の基礎構築』所収 成城学園初等学校 一九七〇 三二五~七頁)

 

 小学生の言語生活に折り目をみつけだすことの意義は、子どもの成長・発達の過程に段階的な飛躍を認め、そこに棹さす「手だて」や「めど」を見出すということにあります。庄司の議論の底に流れている「当たり前」は、この意義に添っていることが分かります。そのうちで重要だと思える指摘は、子供における思考の機転をもたらすコトバの提出です。太字にしてある「それがどうなんだ?」(3年生)、「それでどうなんだ?」(4年生)、「これだってマッチだよ」「いや、ちがう」「いや、おなじだ」(同前)など、のちに「キカッケコトバ」として定式化される眼差しがあるといえましょう。

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