尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

異文化接触の最前線 だから互いに誤解する

2017-03-20 10:07:10 | 

 前回(3/13)は、一八世紀後半から近世演劇上に現れた日本民衆の相対的な対外認識が、一九世紀になるとなぜか後退していく話でした。その背景には、中国人も、朝鮮人もオランダ人もみな唐人と呼ぶ慣習が進行していました。では、どう後退していくと論じられていたかというと、対外的には日本型華夷意識のもとで、民衆は支配者の意識に自らを重ねていくようになりますが、その支配層に比べ貧困な海外情報しか得られない状況下では、「尊大な自己中心主義的発想」をもつようになるという議論でした。しかし、このような発想は客観的な事実認識に裏付けられたものではなかったので、直接相手と触れ合う機会があれば解消できるような性格の対外認識でした。この議論については、同じ著者・池内敏氏による姉妹書『近世日本と朝鮮漂流民』(臨川書店 一九九八)を参照しながら再度考えてみたい。

 さて、今回は第四章「近世民衆の朝鮮認識」の第二節「朝鮮認識の地域差と階層差」に入ります。この第二節で第四章はおしまいですが、構成は(1)異文化接触と認識の有様、(2)共感する文化と相互認識、の二つの議論からなります。

 

≪ところで、民衆が自らを重ね合わせた支配層の認識も、実は単一な認識ではない。たとえば、崔天宗事件に際しての徳川幕府と対馬藩を対比しても、その差は明瞭である。

 たとえば通信使一行の帰国後に本格化する崔天宗殺害事件の審理の過程において、徳川幕府側は鈴木伝蔵個人の責任を問うというよりも、対馬藩としての共同責任を追及した。紛争発生の背景分析を要せず、紛争を生ぜしめた管理責任の追及であった。そして事件の当事者対馬藩を差置いて、以酊庵を介して幕府が直接朝鮮に裁断結果の報告をしようとする。幕府にとっては、朝鮮との間の外交秩序の大枠 ―友好関係の維持― が必要不可欠なのであって、事件の背景にある日朝相互の紛争の種の部分にまで踏み込んでいく必要性を感じない。

一方対馬藩は、崔天宗殺害事件に関しては、そうした紛争を生ぜしめてしまう背景にむしろ関心を集中する。管理の徹底で解決する問題ではなく、そもそも紛争を生ぜしめてしまう要因が対馬藩と朝鮮(あるいは日本と朝鮮)との間に存在するとの立場である。それは、朝鮮と隣接し、接触する機会の多かったことに由来しよう。そしておそらくそうした背景には対馬藩を媒介にして成り立ってきた近世日朝外交体制があるのであって、しかもそれが宗家の家業の問題でもあったがゆえに、この間の幕府の動向に神経を尖らせることとなった。

 こうした幕府と対馬藩の姿勢の対照さは、結局のところ、日朝外交への関わりの仕方の差、具体的な交渉の蓄積を有するか否かといった実務経験の差、といった点に起因するように思われる。例えてみれば、「最前線」と「後方」との現実に対する認識の厳しさ、甘さの差異である。

 対馬藩家老小野典膳は、彼の体験した範囲ながらも、通信使来聘(ライヘイ)のたびに朝鮮通信使の繰り広げる無礼の数々を列挙する。宝暦度通信使に際して馬上の通信使が馬付の者を鑓(ヤリ)の石突で突き伏せて半死半生の体に至らしめたこと、馬の口付きの者は管鞭で打擲(チョウチャク)されること、延享度には、壱岐勝本に到着した通信使の軍官が予定外で島巡りをしたいというのを拒絶したところ唾を吐きかえられたこと、藍島では出船の際に島内で出された夜具を悉く盗んで船に積み込んだこと、その後も方々の御馳走場(ゴチソウバ)で同様のことが繰り返されたこと、下行(ゲギョウ:下賜される)物に難癖を付けて魚ならば大きなものを要求し、野菜ならば季節はずれのものを要求する。あるいは、こうした朝鮮側の行為を咎め立てすると、御馳走人大名は何も言わないのに対馬藩の役人は少々のことで文句を言うと謗(ソシ)る・・・。こうした自らの直接的な体験を通じて対馬藩士たちは彼ら独自の強烈な朝鮮認識を育んでいく。そして「畢竟(ヒッキョウ)、朝鮮国の人心・風俗は対州(対馬藩)の者のほかにはわからない」とは、崔天宗事件に関わって発生した幕府の「伝達方針」を批判したときの御隠居様(宗義蕃)の言であった。

 ところで、基本的には異文化接触(経験)の多寡(タカ)が異文化認識の有様を決定するように思われるが、しかし必ずしも経験が多ければ理解が深まるということでもない。経験の在り方が、何らかの理由により一方的にステロタイプ(画一的)化されることで、異文化に対して「友好的」にもなりうるし、「敵対的」にもなりうる。とりわけそれは「最前線」で顕著に現われてくる。対馬藩士たちの強烈な朝鮮認識は、まさに「最前線」における具体的な経験によって培われていることが見て取れる。これは同一階層の朝鮮認識における地域差のあらわれと言い換えることもできよう。≫(池内敏『「唐人殺し」の世界──近世民衆の朝鮮認識』臨川選書 一九九九 一四八~五〇頁)

 

 対馬藩家老小野典膳のところには、実際に通信使の接待に携わる藩士たちから何種類もの苦情が寄せられたのでしょう。上に挙げられた通信使の「無礼」の数々には、私も少々驚きました。ですが、かといって通信使一行全員が無礼であるわけがないのも自明です。このような相手の部分的な瑕疵を全体的なそれであるかのように偽装する議論が、今日でもしばしば対立する相手に使われる例はあちこちで見られるように思います。この偽装はいいかえれば共同幻想のよろしくない側面ですが、すこし冷静になれば自分の偽装には心づくものです。冷静になれない感情がそこに発生しているから偽装的な議論がまかり通ってしまう。また、好き嫌いを口に出すことがまるで権利であるかのように思い相手を罵る例も見られます。これはいわば「子供の仕草」の一つです。人は大から小まで、相手の部分的な瑕疵を全体的なそれであるかのように偽装する議論が大好きなのかもしれません。

 同じ文化を共有する国家でさえこうなのですから、異文化・異民族のあいだで相互理解を深めるのが難しいことはよくわかります。だから、感情的になるまえに、誤解の筋道を了解しておくことが重要なのでしょう。異文化接触の経験が多いからといって、必ずしも理解が深まるわけではないことを入口に著者は「誤解の筋道」について書いています。経験の在り方が何らかの理由でステレオタイプ化する場合には、われわれは経験の多寡にかかわらず、異文化に対しては「友好的」にも「敵対的」にもなり得るというのです。

 異文化の話でなくても、動物を可愛がる他人に対して下す「動物好きに悪人はいない」という判断は一つのステレオタイプでしょう。また戦地で敵方の民間人に救われたことが、戦後に「友好的」な付き合いを自分に課す根拠になるとか、あるいは相手の何気ない差別語が生涯「敵対的」な心持を作ってしまう場合などを想定することができます。ならば相手に対するステレオタイプな経験をどうしたら防ぐことができるのか。それぞれの異文化経験は、同一階層であれば地域によって異なってくるのは当たり前だと認識しておくことだと私は受けとります。この「地域」を背負い異文化を体現する人間同士がナマでかかわりあう場が「最前線」だとすれば、「最前線だから誤解する」と考えておくことが、双方のステレオタイプな経験を相対化し得る一つの方法なのだと考えます。

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