尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

「蝦蟇(がま)の妖術」に込められ仕掛け

2017-06-19 14:39:41 | 

前回(6/12)は、日野龍夫「近世文学に現われた異国像」の第二節「天竺徳兵衛譚の形成」を読み終りました。これまでの議論の筋道をすこしふり返ってみますと、著者がメインに分析しようとする浄瑠璃『天竺徳兵衛郷鏡』(一七六三 宝暦十三)には、天竺徳兵衛の人物設定上三つの要素がありました。①キリシタンの妖術使いであること、②朝鮮国の遺臣の血を引いていること、これらと不可分に③日本国の滅亡を図る謀反人であることです。前回までは③の要素について見ました。どのようにアプローチしたのかといえば、段階(一)では『天竺徳兵衛郷鏡』の元になった歌舞伎『天竺徳兵衛聞往来往来』(一七五七 宝暦七)と両者の徳兵衛像を比較しました。すると同じく「謀反人」の設定でありながら、前者の方が観客の共鳴・同情が謀反人(徳兵衛)に集まる構成になっているという「変化」を見つけました。段階(二)では、これを当時の他の作品と比較してゆくと、ひとつの時代的な「傾向」と見なすことができました。そこで段階(三)では、同時代の知識人の証言をもとに時代的な意味を考察しました。その意味とは近世中期には、悪人に感情移入できるほどまでに、<悪>とされる現象に対する人々の理解が深まったこと、特にこの悪が謀反である場合には、「謀反」が<世直し>への願望を吸収したからではないかと述べるあたりは、深く心に残る指摘でした。段階(四)では先の「傾向」を、二作品における設定のちがいの中に確認しました。さて、今回からは第三節「キリシタンと朝鮮国」に入ります。いうまでもなく、天竺徳兵衛という人物設定における残りの二要素、すなわち上記「①キリシタンの妖術使いであること」の意味、次に「②朝鮮国の遺臣の血を引いていること」の意味を順次みていきます。この二つを通してこの劇における「海外的要素」について考えます。

まず、徳兵衛が「日本国の滅亡を図る謀反人であること」(要素③)の意味を探っていったように、彼が「キリシタンの妖術使いであること」(要素①)の意味を考えていきますと、『天竺徳兵衛』においては、徳兵衛の父・宗観が末期に唱えた「でいでい はらいそはらいそ」という呪文に示されています。「でい」はデウス(天帝)の訛ったもの、「はらいそ」は天国の意味のポルトガル語で、ともによく知られたキリシタン用語であることから、徳兵衛の人物設定にキリシタンの妖術使いという性格が付与されていることがわかります。この点、元になった『天竺徳兵衛聞書往来』ではどうなのでしょうか。比較してみると、この作品にも「キリシタンの妖術使い」という性格は見られます。とすると、二つの作品のあいだに「変化」を見つけることができません。どうしたらいいのでしょうか。著者・日野龍夫氏は、父・宗観が徳兵衛に伝授した「蝦蟇(がま)の妖術」という設定が、徳兵衛モノ以外の謀反人劇にも使われていることを指摘していきます。近松門左衛門の浄瑠璃『傾城(けいせい)島原蛙(かいる)合戦』(一七一九 享保四)という作品です。

この作品について著者は、≪島原の乱を脚色した謀反人劇で、乱の指導者の天草四郎を七草四郎という名で登場させている。奥州藤原秀衡の四男、四郎高衡は、蝦蟇の妖術を会得しており、京都に上って七草四郎と変名し、天下を奪う陰謀を企むが、最後、筑紫の七草城に一味の者と立て籠もったところを責め滅ぼされる。徳兵衛の蝦蟇の妖術の来由はここにあり、この術を使うことによって徳兵衛は天草四郎の面影を背負い込む≫と書いています。つまり、ここに「キリシタンの妖術使い」における「(蝦蟇の)妖術」に込められた特異な性格を浮び上がらせるのです。それは「天草四郎の面影」というものでした。「天草四郎」は、言うまでもなく島原の乱の首謀者として、大規模な謀反によって幕府を震撼させた実在の人物です。この<過去の実績>が、「(蝦蟇の)妖術」の特異性を支えているわけです。

さらに著者は、過去の島原の乱に対する宝暦期ころの民衆のイメージを、『近世実録全書』に収録されている『天草騒動(参考天草軍記)』(幕末)を通して紹介しています。それは≪小西行長の遺臣でキリシタンの森宗意軒(もりそう いけん)をはじめとする豊臣方の残党たちが、徳川の天下を覆(クツガエ)さんと図って、領主の苛政と宗教統制に反発する農民に一揆を煽動し、器量そなわる天草四郎を大将に押し立てたとある。最初に乱を思い立ったのは小西行長の遺臣たちであるということは、早く浅井了意(あさい りょうい)の仮名草紙『鬼利至端破却論伝(きりしたんはきゃくろんでん)』(寛文三年=一六六三ごろ刊)にもいう(遺臣のなかに森宗意という名も見える)。島原の乱には、百姓一揆とともに謀反のイメージが濃厚であった≫と書いています。ほかにも、「島原の乱」が孕む謀反性は、他の作品に結びつく趣向が見られることを指摘しています。

つまり、「キリシタンの妖術使い」における「(蝦蟇の)妖術」という設定は、観客に向けて「天草四郎」の超人性、「島原の乱」の謀反性を強力に連想させる仕掛けが組みこまれていたということができそうです。

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