尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

引石(ヒキコク)の廃し方に検見法を忍ばせる巧妙

2017-06-15 06:59:50 | 
前回(6/8)は、「検見制への仕法替えは減免か増徴か」と題して川越藩前橋領分の年貢高の経緯について読みました。これによると前橋藩の前領主酒井雅楽頭支配における東善養寺村の本代(基本年貢高)は定免法下で、三四八石。その後五〇石の引石が実現し上納高は二九八石でした。下って寛延二年(一七四九)に替わった松平大和守支配においても定免法は守られ、東善養寺村には「枯村」が出現しはじめる中さらなる引石が実現し、引石分が九七石まで認められ、この村の上納高は二五一石だったことがわかりました。これが文政三年(一八二〇)までのこの村の上納高の変遷です。ところが、翌文政四年には前回引用したように、「検見制への仕法替え」の御触れが出されたのです。これを著者は「増徴」への御触れだと受け取りました。ところが林八右衛門の『勧農教訓録』巻之一を見ると、確かに「増徴」とは書いていないのです。八右衛門が了解した「御触れ」に実際はどう書いてあるのでしょうか。今回は著者の解読を私なりに整理して、ともかく八右衛門の文書を理解したいと思います。引用はこれを四つに分け、【解読】を付けました。


①御領分村々難渋申立候ニつき、これまで御仁恵をもつて御引石等仰せつけられ、よつて御物成(ものなり)多分相減じ、自然と上の御台所御不如意相成り、これニよつて当年より本代上納申しつけ候。
【解読】
(前橋役所は)御領分の村々から難渋ゆえの申し立てに対して、これまで仁政をもって毎年引石(減額)を認めてきた。しかしこのため藩の年貢収入も多分に減り、その結果自ずと藩財政が苦しくなったため、本年から引石なしの本代(ホンダイ;基本年貢高三四八石)を上納するよう申しつけられた。

②もつとも本代上納なりがたき分ハ、村役人共内見分(ないけんんぶん)つかまつり、坪切(つぼきり)いたし、合附(ごうつけ)帳面相したため、差出すべし。
【解読】
本代(基本年貢高)を納めることが不可能なところは、まず各村の役人が内見分(ナイケンブン;村内の予備検見)を行なう。一坪だけ稲を刈って、一坪単位の基本年貢高を量って書きあげた「合附帳」を作成して提出せよ。(「合付け」とは、一坪あたりの収穫量をはかり、反当たりの本文を出す手順のことでしょう。)

③すなわち、一坪にて籾壱升あれバ本代米九斗に相当る。これ六公四民の取立てなり。但し五合毛ハ四斗五升本代なり。
【解読】
どうやって合付けするかというと、一坪で籾の収穫が一升あったとする。そうすると、一反歩は三〇〇坪だから反当たり三〇〇升、つまり三石の収穫を想定できる(一石=十斗=一〇〇升)。これを五合摺(す)りで(×0,5)正米(玄米)にすると一石五斗(15斗)になる。六公四民で配分すると、公の取り分は九斗になる(15斗×0.6=9斗)。民に残されたのは六斗となる。
また、今度は一坪で籾の収穫が五合あったとする。上と同じように計算してみれば、反当たり一五〇升、つまり一石五斗の籾収穫が想定できる。これを五合摺(す)りで正米(玄米)にすると、七斗五升になる。六公四民で配分すると、公の取り分は 四斗五升になり、民の手元には三斗しか残らない。

④余はこれに準じ合附、本代に不足の分ハ検見を願出し、出役の上、村役人ども合附の所、一村にて三坪、例(ため)し枠を入るべし。右三坪を平均いたし、壱合刈出しハ検見地へ一統に壱合増しに相なるべく、又、壱合かりこミもこれまた右一統引増(ひきま)しに相なるべし。この旨、小前一統へ申し聞け、請書(うけしょ)さしいだすべし。
【解読】
その他の田んぼについても、同じように計算し合付けすればよい。「本代に不足の分」というのは、「本代上納なりがたき分」と同義だと受け取ると、以下のように、村役人が事前に行なった合付けで算出した「本代米」と、あとで藩の役人がやって来てきて算出した「本代米」との間に差異が出たときの処置法のことである。
たとえば、村役人が内見分して合付帳を作った田地に藩の役人が実際に出張してきて、村役人が試みた坪でないところで一村に三坪、つまり三ヶ所「例(ため)し枠」をいれて坪刈りしてみる。その差異を平均してみて、村役人が計算した籾より一合多い、ということになれば検見をした田地に対してすべて一合をさしくわえて計算する。年貢米にして反当たり九升の加算、一合少なければ、同様に反当たり九升の減算をして「本代米」を決めよ。この旨をみんなに聞かせ、請書を差し出すこと。


うーん、これは参った、と八右衛門が思ったかどうか。著者の深谷氏はこう書いています。《仰渡しのねらいは明確である。引石のために年貢が減じ藩の財政が苦しくなったから引石を廃して今年からは基本年貢高(「本代」=本途(と)代)を上納させる、というのだからこれは藩の年貢米増収のためであり、百姓からみれば増徴策に他ならない。引石は定免制下で百姓の既得権となっていた免除分である。それを廃して基本年貢高をはっきりさせるために必要に応じて検見に入る、というのだから、今回の仰渡しは、検見制への仕法替えを梃子(てこ)にしなければ実現できないのである。その検見にもとづいて決定される基本年貢高は、六公四民の割合にするとも触れている。東善養寺村の場合、従来の「本代」三四八石でもほぼ四公六民、去年の定免二五一石は村高八一九石七斗余に対して三公七民になるから、六公四民でそろえようとする今度の仕法は、引石廃止だけでなく明らかに年貢率の引きあげを意図したものである》と。

いきなり年貢高を増やすぞ、と上から襲いかかるのではなく、百姓たちの抵抗の根拠となりそうな引石という既得権をまず廃止するぞと言って、これまで使うことの少なかった検見法を必然的な仕法として位置づけ導入し、その結果上納すべき年貢高を自ずから算出せざるを得ないように仕向け、抵抗の根拠であった定免法を結果として廃してしまおうとする。このやり方はなかなか巧妙です。八右衛門は名主として「はい、わかりました」と「請書」を出したのでしょうか。次回に。
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