尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

「凡(およそ)奇疾、多ハ虫ヨリナスコトアリ」

2017-07-18 08:52:29 | 

 昨日は体調不良のため月曜ブログをお休みしました。さて、火曜ブログは『「腹の虫」の研究』を読んでいます。今は近世に「虫証」(虫病、虫症とも)と呼ばれた人身中に住む「虫」が引き起す病症について学んでいます。前回(7/11)は、虫証には多様な症状が伴うこと、またそのうちには「転換性障害」のような精神的な病症が少なからず含まれていることを知りました。今回はその精神的な病症をもっと詳しくみます。

 

さて、「虫」病を論ずる医書において、「虫証」のなかに精神の病症と思われるものまで含めているのは、『療治茶談 後編』に.に限らない。たとえば香川修庵の『一本堂行余医言』(成立年不詳、一七八八年刊、漢文)にも、類似の記載がある。この書の「巻之四」は、「虫」と題され、すべて「虫」病の記述で占められている。病症に関しても実に詳しく書かれているが、そのなかからごく一部を抜き出して見よう。

 或ハ鼻、異臭ヲ聞、或ハ粳飯(ウルチメシ)ヲ悪(にくみ)テ、他物ヲ喫シ、或ハ偏(ひとへ)ニ一物を嗜(むさぼり)、或ハ生米、茶葉、浮炭(ウキスミ:消し炭のこと)、壁土を喫シ、或ハ焼土〔カワラケ=素焼きの器〕ヲ喫し〔注略〕、或ハ手ノ爪甲ヲ喫ス。種種ノ証候尽シ述ブベカラズ。(巻之四 虫)

 ここに掲げられている症状は、幻嗅、嗜好遍機、異食、爪噛みなどであり、いずれも心理的要因の関与が濃厚であると思われるものばかりである。これらを含めた多様な病状をどう理解すべきかについて、修庵はこう論じている。

 又奇怪名状スベカラズ、尋常至テ稀(まれ)ニ見聞セザル所ノ疾有リ。多ハ是レ虫証ニシテ、且ツ此証、癇(カン)ト影響ヲ相為ス。故ニ世医、小児ノ疾ヲ呼テ多ク虫証ト為スハ、若シ癥(チョウ)ニアラズンバ即チ必ズ是レ癇、而シテ虫モマタ間(まま)之レ有り。(巻之四 虫)

 何とも言えず奇妙な病態を示すものは、多くの場合「虫証」であり、かつ「癇」も併存していて、両者が相互に影響し合うためにそうなるのである。世の医者が小児を「虫証」と言っているのは、「癥」(ちょう:積聚[しゃくじゅ])とほぼ同義で、腹部の腫瘤を言う)か、そうでなければ「癇」であり、また「虫」の場合もある、と述べている。ここでの「癇」は、広く精神病症を指す語として用いられており、修庵は「虫証」が「癇」と混じり合うことを重視している。この修庵の主張から、次のような一般論を導くことができるだろう。世の中の医師たちが「虫証」と思っているものは、「癇」と見なすこともできるような、種々の精神症状を多分に含んでいるのであり、上記のように、不快臭を感じてしまう幻嗅とか、極端な偏食、あるいは壁土やカワラケ(土器)を食べる異食症などの、いわば奇態性を持った症状をしばしば示すものであると。(中略)

 以上のように、「虫証」には、単に身体症状だけではなく、多様で込み入った精神症状も見られ、奇病と言ってよい、風変わりな状態を呈することすら稀ではないとされた。(中略)

 その多彩な心理的変調を「虫証」自体の症状と見るのか、「癇」や「狂」などの精神病症が併存していると見なすかの違いはあるものの、心身両面を合わせた全体の変化が如実に現れると考えられていた点が重要である。(中略)

 「虫証」は、この「心身一元的」な医学思想のもとでのみ、成立しえたということができる。このため、明治以後の心身二元的な近代医学の導入によって、「虫証」も「異虫」も否定され、寄生虫症が取って代わることになる。したがって今日の心身二元的な見方からするといっそう、「虫証」には心身の症状が複雑に入り混じり、錯綜した状態に映るのは当然のことと言えるだろう。≫(『「腹の虫」の研究』五九~六一頁)

 

 著者は近世の医者たちが、眼前の多彩な心理的な変調を「虫証」自体の症状と見るか、「癇」や「狂」などの精神病症が併存〔二つ以上のものが同時に存在すること〕と見なすかの違いはあっても、彼らは心身両面を合わせた全体の変化が現れると考えたことに注意を促しています。ここには東洋医学の心身一元論的な見方が存在していたことが指摘され、それゆえ、「虫証」は「心身一元的」な医学思想のもとでのみ成立しえた、というわけです。

 たとえば、私は少年時代から、日曜日の夕方になると何だか下っ腹が重く感じ、鬱っぽい気分に陥りあした学校に行きたくないと思うことが時々ありました。母親に相談すると、トイレに行けとか「正露丸」を飲めとか言われて、相手にされませんでした。さすがに大人に成ってからは口に出すことは控えました。が、たまに同じ気分に陥ることはありました。この事例に東洋医学の心身一元論的な見方を使うと、学校嫌い「虫」(という「虫」がいたとして)の症状だと考えたり、下っ腹の重たさという身体的な症状には鬱っぽい気分がともなうものだと考えたりしたはずです。しかし近代医学の心身二元論的な見方をすると、身体的な下っ腹の変調は「トイレ」や「正露丸」で対処されたり、「学校に行きたくないからだな」と判断されて学校でのいじめを疑われたりするのではないでしょうか。他方鬱っぽい気分が続いて実際に寝こんでしまうようなことがあると「教育相談」や「心療内科」に行くことを勧められるに違いありません。現在では、身体的な「症状」と精神的な「症状」は区別されながらも、後者については、身体と心の関係を重視する対処法が用いられているように思われます。

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