尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

天竺徳兵衛は民衆の「謀反願望」の代行者だった

2017-07-03 17:45:09 | 

前回(6/26)も引きつづき、日野龍夫氏の論文「近世文学に現われた異国像」を読みました。論文の表題を明らかにするために、著者は浄瑠璃作品『天竺徳兵衛郷鏡』(一七六三)における「天竺徳兵衛」の人物設定についての考察を試みています。設定の要点は徳兵衛が、①キリシタンの妖術使いであること、②朝鮮国の遺臣の血を引いていること、③日本国の滅亡を図る謀反人であること、の三つありました。すでに③と①については読み取ってあります。③については、近世中期の民衆が、劇中の悪人に感情移入ができるほど<悪>認識が深まり、謀反という悪には<世直し>願望が込められるようになったということが一つです。これは近世後期になると大塩平八郎の乱のように都市の打ちこわし、そして各地に頻発する百姓一揆が「世直し」性を帯びてくる時代に繋がっていく契機とみることができます。この契機が十八世紀中頃の浄瑠璃や歌舞伎作品などに時代の変化として炙り出されてくるという機微が知的昂奮を覚えます。①の「キリシタンの妖術使いであること」については、劇中の徳兵衛には「天草四郎の面影」(超人性・謀反人性)を見て取ることが出来ること、さらに「キリシタン」という禁制を畏れない人々に対しては民衆のひそかな同情が存在したことが指摘されていました。この「キリシタンであること」を<海外>的な観点で見直すならば、その延長上に<海外>に対する親密性を見てとることも可能でしょう。残るのは②の、徳兵衛が「朝鮮国の遺臣の血を引いている」という設定の考察です。今回はここを読んで行きます。論文の著者日野龍夫氏は、この②の設定の意味をどのように考察しているのでしょうか。言い換えれば、この設定からどのような民衆の<海外>イメージを導くことができるのかを追い、その論理を取り出してみたい。

 

(1)   当時の大坂民衆は、朝鮮国が秀吉によって大きな惨禍を蒙ったということを知っていた。具体的事実として朝鮮における日本軍の暴虐ぶりや朝鮮の惨状をある程度知っていた。当時は、文禄・慶長の役に関する読物風の記録はたくさんあり、異国朝鮮における凄惨を極めた現地の様子がたいてい記述されていた。これによって、民衆には異国朝鮮への恐怖が広まっていた。

(2)   秀吉は、天下を取ったあと国内において非道にも長幼士女を問わず一般庶民を処刑した。このような暴虐非道を実際に知る民衆の見聞は、一挙に大坂に広まってゆき秀吉への反感がハッキリ底流するようになった。

(3)   大泥棒の石川五右衛門が秀吉側に捕縛され釜ゆでの刑に処せられたが、後に歌舞伎『金門五山桐』(一七七八 初演は大坂)では、五右衛門は秀吉に国を奪われた大明国の臣下の遺児という設定になっており、忍び込んだ桃山城で秀吉と対決する。秀吉は五右衛門から、主君・織田信長が平定した天下を盗み取った大悪党で、「五右衛門よりは抜群まさりし盗賊」と喝破される。

(4)   このような民衆の反感が昂じてゆき、以前からの異国への恐怖と結びつくとき、権力者秀吉は日本の民衆にとっての「敵」役=謀反の対象に転じてゆく。そして劇中で大悪党の秀吉をやっつける天竺徳兵衛のパワフルな活躍には共感が寄せられる。そうなると、劇中のことであれ、異国朝鮮の血を引く天竺徳兵衛が報復を図るのは当然だという思想が容易に成立してゆく。

 

 著者は以上のような論理を、具体的文芸作品を介して確かめたあと、以下のように、民衆は<海外>という場所を、劇中の天竺徳兵衛のようなパワフルで、自分たちに替って謀反を実現してくれるような強力な人物が生まれ生きている異界だとイメージしていたことを指摘しています。

 ≪民衆の間には、権力者一般に対する反感を突出した権力者に向けて集約したところの、秀吉への反感が、確実に底流していた。秀吉の非道を知っている民衆は、自分たちの体験に照らして、朝鮮国が秀吉によって蒙った惨禍を容易に想像することができたので、朝鮮国の人々を自分たちに置き換えた。民衆にとって、<秀吉に対する朝鮮国の報復>という設定は、実のところ<秀吉=権力者に対する自分たちの謀反>の願望を代行するものであった。異界である朝鮮国からやってきた者なら、現実の自分たちよりずっと強力に<秀吉>に抵抗してくれるはずであった。/かくして、キリシタンの妖術使いであると供に朝鮮国の遺臣の血をひく天竺徳兵衛は、謀反人史上、最強の謀反人であることが期待されていた。くりかえすが、異界の恐ろしさが、近世中期の民衆の想像力のなかで、現状打開のエネルギー源に転換している。海外について、ほとんど情報を与えられていないという状況は、このような<海外>のイメージを育てたのであった。≫(前掲論文 二八八頁)


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