尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

八右衛門、「難渋願書」を提出する

2017-06-22 18:59:22 | 

 前回(6/15)は、「引石の廃し方に検見法を忍ばせる巧妙」と題して、文政四年(一八二一)に仰せ渡された年貢徴収法がどのようなものであったかを調べました。それはまちがいなく増徴を目的にし、これまでの引石の慣習を廃止し、元々の本代(基本年貢高)に戻って上納させようとするもので、これを納められないならば、今回検見法を導入して計り直し、さらに六公四民の配分で本代を決めるというものでした。八右衛門はこのお触れを知り、「はい、承知致しました」と請書を出したわけではありません。その前に下のような趣旨でもって「難渋願書」を前橋陣屋(勧農役所)に提出したのです。

 

≪八右衛門は、これは簡単に請書(ウケショ)はだせないと思う。この村は、元来、基本年貢高(「本代」)は低く見つもられているが、それでも上田(ジョウデン)で七斗から七斗四升まで位には計算されている。田地の等級は、上田以下、中田(チュウデン)・下田(ゲデン)・下々田(ゲゲデン)というように区別されて全部で八段階に分かれている。下々田の場合でも、基本年貢高は四斗六升である。かりに、「本代」が七斗二升となるためには一坪に八合の籾がとれなければならないし、下々田でも、一坪五合五勺〔1合=10勺〕の籾があって「本代」が四斗九升五合ということになる。

 これまでは引石上免ということで解決されてきたのだが、それが許されないとなると、この村の百姓は一坪に八合から五合くらいの収穫をあげなければならぬ。なるほど、豊作であれば、合付けが過重であっても百姓の取り分もふえるからよろしいだろう。しかし、近年は村中困窮で「枯村」とさえ呼ばれ、百姓軒数も減った。少し大きな作りの百姓なら欠かせない男女の奉公人も一人もおらず、人手といえば亭主自身だけであとは年寄に子供。二里ほど出向いたところで薪木をとり、宿場や町場(まちば)へ売りに行くけれども、これが馬一駄六束、銭にして六四文である。この薪木が一日に一束つくれるかどうか。平均してそれくらいだから、一駄にするには六日間、年間に六〇駄ということになる。合計して、三貫八四〇文〔1貫=銭1000文〕の稼ぎにしかならぬ。

 百姓の負担は年貢だけではない。役の負担というものがある。ことに東善養寺村は街道沿いの村である。公儀の伝馬諸役がある。百姓どうしの冠婚葬祭や見舞いの入費も小さくない。費用のことだけではない。奉公人もおらず、余分な人手が老人や子供のだけだということは、亭主が稼ぎ仕事や人足課役、村うちのつきあいに出かけると農作業がおろそかになるということにほかならない。しかし、村の内も外もいまではすっかり人不足になってしまい、もはや入作してくれる者はなく、自分の今の持地分はどうしても手作りしなければならぬ。肥料や手入れのことも、よくしたいと念じつつも日々に追われて行きとどかない。そんなところへ、上田八合から下々田五合くらいの出来高を基準にして六交四民で上納するのではたまらない。これでは百姓は立ちゆかぬ。≫(深谷克己『八右衛門・兵助・伴助』朝日新聞社 一九七八 四七~八頁)

 

 八右衛門は、まず引用のように合付けの計算をしました。引石が廃止されたとすると、この村の百姓は、上田でも八合くらい、下々田でもおよそ五合の出来高を基準にして六公四民で上納しなければならないという、これではとてもやっていけないことを知ります。そのほかの収入の手段も限られ出費もかかる現状では、このまま「はい」と請書の筆を執ることはできません。そして八右衛門は「難渋願書」を提出しました。この訴願に対して前橋役所の返答は、①「御決定」済みであること、②「清直」な方法であることの二点を強調してはねつけました。「清直」とは、まやかしのない正直な方法だと思われます。もっとも不正直な方法だというはずもありませんが。また著者の深谷氏は、八右衛門がこの訴願を提出したのは、彼一存によるものかどうかについて、「少なくとも長(おとな)百姓たちとは示しあわせての行動だったのではないか、と推測するのが自然である」と書いています。だとすれば、林八右衛門という名主は、よいと思ったことを実直に行動に移すような人物ではなく、事前に自分の考えの当否を村人に相談するような人物であることがうかがえます。とはいえ、「難渋願書」を書いて出すという行為そのものは大変勇気の要るものであったことは確かです。

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