尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

『天竺徳兵衛郷鏡』のストーリー

2017-05-15 06:59:00 | 
前回(5/8)は、日野龍夫「近世文学に現われた異国像」/中央公論社『日本の近世』第一巻所収)を取り上げ、そこから民衆の海外認識をすくいとるための方法を学ぶことにしました。そこでは、海外情報の制限された「鎖国」の時代にあって、民衆レベルでは、彼らが何らかの形で海外をとりあげたいくつかの近世文学の中に<もう一つの世界>を求めていたらしいことを知りました。それはどのような<海外>だったのか。どう問えばいいのか。私はその要点を、それまでのお伽話的な<海外>イメージを超える「変容」に着目すること、そこに日本と異なる異質性を見つけその意味を考察することだ、と受け止めました。そこで今回は、日野龍夫氏が上記の問題関心に相応しいかと考える作品の一つである、近松半二等合作の人形浄瑠璃作品『天竺徳兵衛郷鏡(さとのすがたみ)』の、日野氏によるストーリー要約を引用します。(作品概要の知識なしでは論文の議論についていけない、というわけです)

《(初段)豊後の国王大友佐賀次郎と、播磨国主滝川左近之進の娘折枝(おりえ)姫は恋仲である。豊前国主北条氏政のは大友家を滅ぼして所領を奪おうという野望があり、その子の時五郎は折枝姫に横恋慕しており、親子して佐賀次郎・折枝姫を種々苦しめる。
佐賀次郎は、将軍家から預かった名刀波切丸(なみきりまる)を紛失した科(とが)により、詮議の期間を百日と限って家老吉岡宗観の館にお預けの身となり、佐賀次郎の弟小君は落ちのびる。
(二段目)吉岡宗観の館では幽閉の佐賀次郎を慰めるため、天竺へ漂流して近ごろ豊後へ帰り着いた播州高砂の船頭徳兵衛(天竺徳兵衛)を召し出し、異国の珍しい話をさせる。その日はあたかも波切丸詮議の百日の日限の日で、まだ刀が見つからないため、宗観は佐賀次郎をひそかに落ちのびさせる。将軍家の上使(じょうし)を迎え、宗観は、波切丸は見つからず、佐賀次郎まで行方不明になった罪を背負って、切腹する。瀕死の宗観と妻の夕波は天竺徳兵衛を呼び寄せ、徳兵衛は実は自分たちの子供、三歳の時に養子に出した大日丸であると告げる。徳兵衛は驚くが、波切丸を盗んだのは父上自身であろうと看破して、庭の竹の中に隠してあった波切丸を取り出してくる。宗観は喜んで、「その性根を見るからに、今打ち明かすそれがしは、朝鮮国の臣下木曽官(もくそかん)と云つし者、国の怨(あた)を報はんため、この日本に押し渡り云々」と、秘密を打ち明ける。
宗観は蝦蟇(蝦蟇)の妖術によって日本国を滅ぼそうとしたが、それには名鏡と名刀が必要で、名鏡はみずから作ったが、名刀波切丸が大友家に預けられてあると知り、大友家に仕えて、それを盗み取ったのであった、身を犠牲にして佐賀次郎を逃がしてやったのは、味方につければ頼もしい器量とみて取ったからで、「只今よりこの二品、汝所持して謀反(むほん)を起こし、主の怨(あた)、国の仇(あた)、三十年心を砕く存念、晴らさんず者ほかになし。自然とその気備はる汝に只今めぐり逢ひたるも、日頃念ずる蝦蟇の尊神、手を取って引き合はせ給ふかや。ハゝ有り難や。悦ばしや。なほも力を添へ給へ。でいでいはらいそはらいそ」と、徳兵衛に謀反の志を継ぐよう励ます。
母の夕波は謀反を思いとどまるよう諌(いさ)めるが、徳兵衛は母を切り殺して、「思ひ切つたる不幸の罰、当たらば当たれ、かまはぬかまはぬ。足手まとひの親はなし」と、父の志を継ぐことを誓う。宗観は自分の血潮と妻の血潮で蝦蟇尊像を描いて徳兵衛に与え、息絶える。徳兵衛は父の首を抱えて姿を消す。
(三段目)徳兵衛は九年ぶりに故郷播州高砂へ帰るが、途中、大友家の小君が北条時五郎の追手に追われているところへ行き合わせ、大友家に恩を売って佐賀次郎を味方につけようとの思惑から、たまたま通りかかったわが子のお汐を、小君の身代わりに立てるために殺す。家へ戻ってみると、女房のお綱は後夫を迎えており、現在の夫の大友家の浪人尾形十郎と徳兵衛とに挟まれて身を処しかねる。また徳兵衛ととの間に生まれたお汐を徳兵衛の不在中に殺された申し訳も立たず、徳兵衛が尾形十郎めがけて放った鉄砲に前に立ちはだかり、玉を受けて死ぬ。徳兵衛は、「ヤアヤア女、これで二人の夫への言い訳立つて本望ならん。不義はかへつて貞女の鏡。今はの耳によつく聞け。・・・親を殺し、子を殺し、女房を殺し、三千世界に血筋を絶つたる天竺徳兵衛。いよいよ心引かるることなく、大願成就、時至れり。ハゝア心よや、悦ばしや」と、お汐の首を抱えて姿を消す。
(四段目)北条時五郎の館にお預けになっている折枝姫のもとへ大友佐賀次郎が忍び入ると、佐賀次郎をどうしても味方に引き入れたい徳兵衛も忍び入る。そこへ滝川左近之進が訪ねてきて、巳の年、巳の日、巳の刻誕生の自分の血潮をもって徳兵衛の蝦蟇の妖術を破るため、切腹する。徳兵衛はかろうじて脱出する。
(五段目)壱岐の島に立て篭る天竺徳兵衛を、討手の北条父子と佐賀次郎主従が攻めるが、時五郎は戦死し、佐賀次郎主従は北条氏政を成敗する。天竺へ徳兵衛は自害して、天下は太平となる。》(日野龍夫前掲論文 二六九〜七二頁)


この作品は宝暦十三年(一七六三)四月、大坂は道頓堀の竹本座で上演されたもの。この年のまる一年後に、同じ大坂で朝鮮通信使中官・崔天宗の殺害事件が発生します。おそらくこの同時代作品に現われた異国像が、崔天宗殺害事件をめぐる作品群を読み取るヒントになると思われます。それにしても天竺徳兵衛とは何と驚くべき人物でしょうか。その豹変ぶりの心の底にあるものが何なのか惹きつけられます。ストーリーだけでなく、もとの作品を是非よんでみたいものです。
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