尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

応声虫 演じられて心づく面白さ

2017-03-21 07:30:52 | 

 前回(3/14)は、近世の随筆類から応声虫の事例、大人がかかる奇病としての「応声虫」の事例を知ることができました。今回は第二節創作文芸にみる「応声虫」、に入ります。ここでは、フィクションとしての文芸作品に見える「応声虫」の扱われかたを見てゆきます。『「腹の虫」の研究』の著者は、その仕方を「説話性」と受けとめていますが、この「説話性」の意味するところがはっきりと書かれていません。あえて関連する言葉を拾い挙げると、「奇異性」、「実際にあった話」、「広がり」、「伝聞」、「変形・加工」などが見つかります。これらから私なりの受けとめを言葉にしてみると、説話性とはハナシやカタリが備える、「聴き手や観客の好奇心(面白さ)に応える性質」のことだと一応定義可能です。こう捉えると、「応声虫」という奇病が説話性を含み、またフィクション文芸がそれを増幅させていくものだと想像することは容易になります。さて、ここでは二つの作品を見てゆきます。浄瑠璃の『鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)』と、読本(よみほん)の『南総里見八犬伝』です。今回は前者です。フィクション文芸の中で「応声虫」の説話性がどのように膨らむのかを確かめていきます。

 

≪『鬼一法眼三略巻』は、歌舞伎や文楽で今日でもしばしば上演される人気演目の一つであり、とりわけ「菊畑」や「大蔵卿館」の場は.歌舞伎ファンにとってお馴染みの舞台であろう。もともとは、文耕堂(ぶんこうどう)と長谷川千四(せんし)との二人の作者による浄瑠璃作品で、享保一六年(一七三一)に大阪・竹本座」で初演され、その翌年に早くも歌舞伎化されている。「応声虫」のことが出てくるのは、浄瑠璃作品の最初の場面(「第一」)であるが、今日では文楽でも歌舞伎でも上演されなくなっている箇所である。物語を要約しながら、「応声虫」がどのように扱われているかを見ていこう。

 時は源平時代である。熊野別当の弁真(べんしん)は、保元の乱で源為義に見方したために、平清盛によって切腹させられた。残された弁真の妻は(北の方)と、その娘である椰(なぎ)の前とは、坂上文藤次(さかのうえぶんとうじ)のもとに身を寄せている。文藤次は娘の飛鳥が、梛の前の乳母をしていた縁もあって、この親子を預かっているのである。

 北の方は、その時懐妊とも病気ともつかぬ、尋常ならざる状態にあった。かつて北の方は、弁真との間に男子のないことを悲しみ、熊野権現に立願して悪夢があり、懐妊の兆候を得た。しかし、出産には至らず、すでに七年もの歳月が経っている。男子誕生の時は殺害せよとの命を受けた郡代(ぐんだい)が、毎日「病人改め」にやってくる。この日も「病人改め」にやってきた平太諸賢(もろかた)が、乱暴にも北の方の懐を引きあけて、腹部を押したり掴んだりするので、見るに見かねた文藤次が諸賢(もろかた)にこう言う。

 「毎日毎日同じ事申すに似たれども、正(まさ)しく応声虫と申す病にて、時々腹の内から応々と申す、幾度(いくたび)仰せられても、病にまがひ御座なし」。これに対して諸賢(もろかた)は、「言ふな言ふな、応声虫の煩ひ、物知(ものしり)につくと尋ねたれば、応声虫とは声に応ずる虫と書く、(中略)此女が病、応声虫に極(きわま)らば、外にて言う事を口うつすべし、目前に実否(じつふ)を正して見せん」と立ち上がり、強引に北の方を自分の方に引き寄せ、その腹部に向かって言い立てる。「ヤイ腹の内の病よ、応声虫か、応声虫かやい」と言っては耳を傾け、「文藤次、何とも言わぬぞよ、但し是はむつかしさに言はぬか。いろはにほへと、言わぬぞよ、ちりぬるおわか、言わぬぞよ言わぬぞよ、なんと、声に応ぜいでも応声虫か。懐胎に極(きわま)つたはやい」と決めつける。文藤次は、懐胎ならば十月(とつき)で生まれるはず、七年も経っているからには懐胎ではない、と反論する。しかし、一歩も引かぬ諸賢(もろかた)は、老子が八十年もの間、母の胎内にいて、白髪で生まれてきた、という話を引き合いに出して撥ねつける。

 この後、北の方は、清盛の命を受けた平広盛によって、結局切り殺されてしまう。動かぬはずのその死体に、動きが起こり、疵(きず)口から、男子が生まれてくる。大きさは八、九歳の童子ほどもある巨大児だった。すなわちこれが、武蔵坊弁慶だった。

 この作品の「応声虫」は、懐妊なのか、それとも腹部の病症なのかが、言い争われるなかで登場している。懐妊との異同が問題視されるということは、「応声虫」が胎児と同じほどの大きさということになるが、この点、やや不自由な感じを与える。にもかかわらず作者が、数多くある病のなかで、ことさら「応声虫」を登場させたのには理由があろう。考えられることは、まず、懐妊して七年も経つという例外状態を説明するのに、めったに見られない奇病こそがふさわしいということ。それだけでなく、懐妊と病との区別を決定づけるうえで、演劇的説得性を持つからだと思われる。「応声虫」ならば、声に応じて言葉が返って来るはずであり、胎児ならばそのようなことは起こらないのであって、容易に区別ができることになる。諸賢が「腹」に向かって、あれこれ言葉をかける場面は、きわめて風変わりな設定ではあるが、観客はそれを違和感なく楽しんだことだろう。「応声虫」がだれの耳にも明らかな聴覚的確証になるわけであり、演劇的効果を高める役割を果している点で、興味深い例である。≫(『「腹の虫」の研究』十七~二十頁)

 

 北の方や文藤次は、清盛に切腹させられた弁真(べんしん)の忘れ形見だからお腹の児を守りたい、それゆえ奇病の「応声虫」だと主張する。他方で「懐妊」を疑い生まれた子が男児だったら殺せと命じられ、「病人改め」にやってきた郡代の諸賢(もろかた)の反論の発生。この言い争いの中から「応声虫」が登場しますが、その説話性はどう表現され増幅されているか。まず、北の方が懐妊しているとして、七年も生まれないのは腑に落ちないと感じている観客からすれば、応声虫はどのような役目をしているか。著者は「懐妊して七年も経つという例外状態を説明するのに、めったに見られない奇病こそがふさわしい」と述べています。懐妊して七年も経つのに未だに子が生まれない不思議さには、めったに見られない「応声虫」という奇病が似合うということなのでしょう。私は、この「不思議さ」と「奇異性」が共存する観客の気分に、北の方が殺されその傷口から生まれた男児がのちの武蔵坊弁慶だったというオチを、深く納得させる効果が生じたのだと思いました。

 次いで応声虫の説話性がどう増幅されたのか。著者は応声虫が「懐妊と病との区別を決定づけるうえで、演劇的説得性を持つからだと」書いています。すなわち、北の方のお腹に向かって声をかける諸賢(もろかた)のパフォーマンスが、懐妊か病かをハッキリ決定づける効果をもっているということです。著者の言う、≪諸賢が「腹」に向かって、あれこれ言葉をかける場面は、きわめて風変わりな設定ではあるが、観客はそれを違和感なく楽しんだことだろう。「応声虫」がだれの耳にも明らかな聴覚的確証になるわけであり、演劇的効果を高める役割を果している≫という分析が腑に落ちました。

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