尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

なにゆえ仲間(同輩)にまで敬語を使うようになったのか

2017-04-05 14:42:18 | 

 前回(3/29)は、信州松本地方や上伊那箕輪地方における敬語があまり使用されていない状況について見ました。それにはやはり個々に理由がありましたが、総じて仲間同士には敬語を使うことがなかった事例として読むことができます。つまり敬語と上品な生活を混同して、同輩に敬語を使うようなことはなかったわけです。敬語が普及していく契機はいったいなにか。柳田國男は、①人口の増加、②社交の錯綜(目前に多くの異郷人が出現した)、③敬語と上品なる生活の混同、を挙げて、③の原因が一番大きかったと書きました。「③の原因」とは、「よい生活をする人がすべて敬語を使用する階級」だと思い違いをして、「せめてこれだけでも模倣してみようとして」、格別必要もない同輩や目下の者にまで敬語を使うことを「拡張し始めた」ことでした。こんな「思い違い」を放っておいて、敬語の教育をするわけにはいきません。そこでこの「思い違い」はどのように生まれたのか、改めて敬語の歴史をふりかえってみる必要がありました。今回はここがテーマです。

 

≪礼儀作法の全集まで出る世の中にはなったが、そのいわゆる伊勢流・小笠原流が、どうして出現したかを考えてみようとする者はまだいないのである。この二流の元祖はいずれも皆室町幕府の胥吏(しょり:小役人)であり、そうしてまた田舎者であった。別に上代以来の伝統を主張したわけではなく、方式はすべて時代に即した発明であって、しかもこの時代には大きな生活ぶりの変化があったのである。京都の記録を見ても、かなりはっきりとこの変化が看取せられる。御成(おなり)などといってやたらに臣下の家に来て遊ぶ風習、これは鎌倉にもあったがこの期に入って完成した。もとより政治の関係もあって、すぐに格式にも先例にもなり、また釣合い上一箇所だけですませるわけにも行かない。最初は関東でも今はオウバン(椀飯:盛大な饗応)というような、一門眷属(けんぞく:身内、一族)の正月の協同飲食であったろうが、後には戦争に次ぐくらいの大事件になってしまった。『狂言記』(狂言の詞章を収録した読み物)に出て来る八幡大名の類までが、おのおの分際に応じて家来の家を騒がせ、かつまた相互いの参会もだんだん多くなった。進退応対の技芸のこの際をもって、大いに発達したことは想像に難くないのである。そういう中でも同列の間、尊でも卑でもない者の往来が、自由という以上に流行して来たことも、この余勢すなわち相伴(しょうばん:宴会の正客に陪席して饗応を受ける)制度の延長と解せられる。かつて『(明治大正史)世相篇』の中にもこの点だけは説いたが、座敷と称する現在の建築と設備、及びまだ適当な日本語も持たぬような、中途半ぱな今日の坐り方の、新たに始まったのもこの事情からであった。ひとり言語のみがなんらの影響も受けずに、いられたわけはないのである。同輩には元来敬語の入用はあり得ない。敬語はそれから区別せられてこそ、始めて印象も深く価値も大きかったのである。中世初期においても、鋭敏なる感覚をもった男女の上﨟(じょうろう:身分の高い人、貴公子や貴婦人)は、事実如何にかかわらず人を同輩と見ることを憚(はばか)り、もしくは多くの他人が尊敬するという事実を重んじて、幾分目下の者にも敬語を惜しまなかった実例は少しあるが、単に相互というだけの条件の下に、仲間に敬語を使い出したのは、まさしくこの訪問流行の時代が始めだったのである。≫(ちくま文庫版『柳田國男全集22』 一三八~九頁)

 

 段落の途中ですが、ここで切って続きは次回にします。さて、日本人はなにゆえに仲間同士で敬語を用いるようになったのか、その変遷の論理をつかまえてみましょう。まず時代は中世室町期、この時代は大きな時代の変り目でした。そのひとつが伊勢・小笠原二流の出現で、これまでにない時代に即した礼儀作法が誕生しました。これが、影響したのかしないのかハッキリしないのですが、将軍が臣下の家を訪ね饗応を受けるという「御成」行事がこの時代に完成します。すると御成の席で実行される礼儀作法はすぐに先例や格式となっていきます。これが室町将軍の御成にとどまらず、臣下の間にも流行し互いに参会しあう機会が増えていきます。この際「進退応対の技芸」が大いに発達したことは想像に難くないですが、互いに招き招かれる正客には家来が付添い陪席し彼らも饗応を受けることになります。これが相伴制度でしょうが、この延長として「同列の間、尊でも卑でもない者の往来」が「自由という以上」に流行して来るのです。

 さて、こうなると客を招くための座敷や特有の今日風の坐り方が発明されるわけですから、言葉の使い方にだって影響を与えないはずはありません。やがて上流階級の男女(上﨟)の中から、敬語の使い方の思わぬ転用が始まります。そもそも敬語は同輩との間での入用はありえません。同輩関係と区別されてこそ、印象も深く価値も大きかったわけです。彼ら上﨟たちは上下関係に敏感でおなじ上﨟相手を同輩と見ることも、相手から同輩と見られることも憚りました。それゆえ上﨟同士はお互いに同輩関係を承認したくないからこそ敬語を使うようになります。それを下の者が見て、上流階級の使う言葉はみな敬語だと思い違い(混同)して、やがて敬語は下々の仲間同士にも普及し敬語に変遷が起きた、柳田はこう言っているのです。

 私は「転用」という言葉を使いましたが、敬語は目上に対する敬意の表現ですから、同輩に用いるのは「誤用」といえますが、ここにはまちがった使い方をしているという自覚はなかったものと見なし、「転用」を使いました。もっと適当な言葉があればいいのですが。キーワードは、中世、生活の大きな変化、御成、相伴制度、同輩交流、上﨟による敬語の転用などでしょうか。これらをまとめると「訪問流行の時代」になります。思うに柳田國男の論理展開は、西洋由来なのかどうか分かりませんが、何か独特のものがあると感じさせます。

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