尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

「虫証」(虫症、虫病)には精神的病症が少なくない

2017-07-11 11:37:46 | 

前回(7/4)は、『「腹の虫」の研究』の第二章「「虫」の病と「異虫」」に入り、第二章のガイダンスのような叙述を追いました。最近ではこのような親切な論文がふえたなという印象がありますが、今回は漢方の用語がいくつも出て来て困惑しましたので、対処法を考えました。個々の難しい用語については、できるだけ読み方を調べることにし、意味は抽象度を上げて把握するという手を選びました。まったく門外漢の私が難しい漢字だらけの漢方医学の用語など正しく理解することなど無理というものです。そこでここでは病症についてはできるだけ具体的に調べて、治療法については「漢方の治療法の一つ」として受けいれてしまうことにしました。ではさっそく第一節の「虫証」を読んで見ることにしますが、「虫証」をなんて読んだらいいのか。チュウショウ?ムシアカシ?ムシショウ? ここでは、とりあえず「チュウショウ」と読んでおきます。〔 〕は私が補いました。

 

人身中に住む「虫」が引き起す病症のことを、近世の医学では「虫証」(虫症、虫症とも)と呼んでいた。当時の医師たちが「虫証」をどのように見ていたかについて、いくつかの医書を資料として検討していこう。

津田(田村)玄仙は『療治茶談 後編』(一七八一年刊)のなかで、「虫証」を論じて次のように記している。「世、虫ヲ患フルモノ甚ダ多ク、其証亦至テ多端〔複雑で多岐に渡ること〕ニシテ他病ノ中ヘ混雑シテ、医ノ治療ヲクラマスモノハ虫証ナリ」(「虫証口訣」)。このように、「虫証」はそれ自体多様な症状があるゆえに、併発の他病と重なってますます診断が難しいものであり、「治療ヲクラマスモノ」だと言っている。また、これに続けて玄仙は、近ごろの初学者向けの医書が、「虫証」を独立して扱わず、元来別種のものである「腹痛門」のなかに含めて副次的に記載していることを指摘して。これでは、初学者が複雑な「虫証」について正しく学ぶことができない、と批判している。(中略:以下玄仙が自分で治療に当たった「虫証」の症例のいくつかを取上げる)

・十七歳男子の例。「傷寒〔ショウカン:急に熱が出る病気の総称で今のインフルエンザ・腸チフスの類のこと〕」を患った後、「人事ヲ知ラズ、其人、愚ノ如ニシテ、言語スルコトアタハズ。若シ食ヲ求メントスル時ハ、人ニ向テ只口ヲ開クノミ」という状態になったが、大七気湯〔ダイシチキトウ〕に蝦蟇〔ガマ〕を加えた処方〔漢方〕によって治癒した。

・農夫の例。奥州への旅行のあと、「周身浮腫〔全身にむくみ〕、喘急〔喘息〕、腹脹〔腹が脹れる〕、小便秘渋(オシッコが出にくい)」の状態となり、医者にかかったが、まったく改善しなかった。玄仙が診ることになり、問診によって「喉中、炙肉ノ如クナルモノ有テ、飲食ヲ妨グ」という状態にあることがわかった。そこで、大七気湯に赤蛙を加用して、結局全快した。

・瘧疾(ぎゃくしつ:マラリアなどの間歇性の発熱疾患)を二年にわたって患い、医薬や祈禱にすがったが効果はなかった。悪化時には、きまって「胸痛ンデ苦水一升バカリヲ吐ス。吐後、寒熱失ウガ如シ」という状態を繰り返した。玄仙が診ることになり、「虫証」と見立て、療治(リョウジ)を行なうことにより全癒した。

・ある婦人は出産後、全く「米飯」を食べなくり、「麦飯」ばかりを食べるようになって三年が経過していた。これも、「虫証」の療治によって改善し。                                                      

・農夫の例。衣が揺れるほど、胸に動悸があって、「喘急シテ寸歩能ハズ」という状態であったが、駆虫薬である烏梅丸を一年間服用することで治療に至った。

以上の諸事例は、「虫証」が単に腹痛や嘔吐などの消化器官だけではなく、いかに多様な症状をともなうものかを示している。「人ニ向テ只口ヲ開クノミ」、「喉中、炙肉ノ如クナルモノ有テ、飲食ヲ妨グ」、「喘急シテ寸歩能ハズ」、「麦飯」しか食べない、などの症状が現れるというのであるから、玄仙が「クラマスモノ」と言うのも頷ける。

しかし、これらの「虫証」に含まれる症状は、注目すべき事実を含んでいる。「話すことができなくなり、物を食べたい時は、人に向って口を開く」という事例は、結局治癒したのであるから、心理的退行状態に一時陥ったものと思われる。すなわち、今日の「転換性障害」(Conversion disorder)──かつては「転換型ヒステリー」と呼ばれたもの──に該当すると見てよいだろう。また、「麦飯ばかりを食べるようになった」事例も、心理的要因の関与が濃厚である。さらに、「喉中、炙肉ノ如クナルモノ有テ、飲食ヲ妨グ」という症状は、古く張中景(後漢代)の『金匱要略〔キンキヨウリャク〕』に、「婦人、咽中炙臠(しゃらん)ノ有ガ如ナルハ、半夏厚朴湯〔漢方薬〕、之ヲ主(つかさど)ル」と記載されているもので、これも「転換性障害」にしばしば認められる「喉に停滞する異物」──かつては「ヒステリー球」(globus hystericus)と呼ばれたもの──と同類の症状である。つまり『療治茶談 後編』に記述されている「虫証」には、精神的な病症が少なからず含まれていることになる。≫(五六~八頁)

 

「虫証」の一つの例である、「話すことができなくなり、物を食べたい時は、人に向って口を開く」という事例が、「転換性障害」に該当することが指摘されていますが、「転換性障害」とは、葛藤やストレスという心理的要因が身体症状に転換されて病症になって現れることです。「病症」とまで言わなくても、軽い「転換性障害」は日常的に発生しているのではないでしょうか。あまり人前で話したことのない人が、聴衆をまえに胸がドキドキしたり腹の底がせり上がってくるように感じたり、逆に何か心配事が長く続くとなんだか胃の底が重く感じたりとか、食欲が無くなってくるとか、誰でも経験していることでしょう。だから「転換性障害」と同じだと言いたいのではありません。人間は身中に起きる心配(葛藤)やストレスをどのように想像しているかに注目したいのです。私の実感をいえば、それは一つの塊(かたまり)というものです。喉につっかえているように感じられる炙肉の一片も、ヒステリー球の「球」も小さな塊という表象です。また、出産後「米飯」を食べなくなり「麦飯」ばかりを食べるようになった主婦の病症でも、赤ん坊が生まれ出て空虚になったハラに麦飯を詰め込んだときの大きな塊が表象できるはずです。「虫」もごく小さな塊であることには変わりありません。

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