尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

表現の「展開」という問題の行方

2017-08-09 15:55:40 | 

 前回(8/2)は、栗原文夫著『文章表現の四つの構造』(右文書院 二〇一七)において文章の「展開」という問題をどう位置づけているか、これを最後の感想として綴ってみたいことを述べた上で、立論の前提になったと思われる時枝誠記の文章本質観(基本的考え方)を紹介しました。その準備作業として、時枝が文章を絵画や建築を比べながら抽出したその独自性をどう受けとめるかを若干綴ってみました。その独自性とは、文章表現の「継時的・線条的」性格のことです。私は、これを人間があるまとまった認識内容が表現として語り出され、綴り出されるときの「拘束」のようなものだと受けとめました。それゆえ、このようにまとまった認識内容をどのような構成で、実際にどのような順序で展開するかという編集段階の認識が重要になってくることを述べました。それゆえ表現に先だって文章表現の「継時的・線条的」性格を考慮する必要が出てくるわけです。

 ここで重要なことは、「継時的・線条的」性格とは編集段階で参考にされる認識ではあっても、編集段階の認識そのものではないことです。たとえてみれば、泡立てた生クリームをある形で絞り出す場合の口金のようなものです。この金具の口先の形式がケーキの上に現れる生クリーム模様を根本的に規定します。つまり文章表現の「継時的・線条的」性格とは、その根本的な表現形式のことなのです。こう考えてくると、どこから表現行為を始めるにしても、文章の「冒頭」が重要になってくることは必然です。時枝は、この冒頭が展開の核心となって「如何に分裂し、如何に拡大し、如何に屈折して行くかというところに文章の展開がある」(『日本文法口語篇』岩波全書 一九五〇)」と述べています。ここから文章における「展開」の定義を求めてみれば、「冒頭が核心となって分裂、拡大、屈折していくこと」であり、辞書的な意味(広辞苑)での「展開」──のべひらくこと、発展させ繰りひろげること、──にまとめることが出来そうです。それゆえ、時枝はことさら「展開」の定義を書き残さなかったのかもしれません。

 このように文章研究においては何よりも表現の「展開」ということが重要だということが腑に落ちるでしょうか。著者栗原氏は時枝文章論における表現の「展開」をどう受けとめているかこれから見てみましょう。まず著者は時枝文章論の引用をふり返って、≪以上のように、時枝誠記は、文章表現の特性をその継時的・線条的性格に見出し、冒頭を核心とする文章の展開過程の研究を、文章論が扱う中心的な課題と考えた。≫と述べています。私の理解と異なるところは見られません。しかし、以下のように時枝が具体的に「冒頭を核心とする文章の展開」を語る場面を批評する段階になると、そうではなくなってきます。そこを見ていきましょう。先に、時枝の説明を引用しておきます。

 

≪          大坂本町糸屋の娘、 (起)

姉は十六、妹は十五  (承)

諸国諸大名は刀で斬るが、(転)

糸屋の娘は目で殺す。(結)

冒頭の起句は、説明せられるべき事柄の提示で、承句は、その説明であって、両者合して、文における主語述語と同様の関係が成立する。この場合、起句を、独立格から成る一個の短文と見ても、承句との関係からいえば、主語─術語の関係と同じになる。第三は転句といわれているが、一、二句と全く無関係なものが持出されるのではなく、糸屋の娘が男を悩殺するという一つの属性の連想において、「諸国諸大名は刀で斬るが」の思想が持出され、結句と合して、糸屋の娘の術語となっている。すべては、冒頭の起句の持つ可能性の発揮であり、その拡充完成である。ここで大切なことは、これらの句句について、その構図的な配置においてその論理的な関係を考えることでなく、一つの句が他の句を生みだす関係において、その論理性を考えるべきことである。この論理をたどることが、則ち表現を「読む」ことであり、またこの論理に従って表現することが、「書くこと」である。(時枝誠記『文章研究序説』)

  以上の「冒頭を核心とする文章の展開」について、著者は以下のように批評しています。

 ≪ここで、時枝は、引用した四行の詩句を、冒頭の句(起句)を起点として「一つの句が他の句を生み出す関係において」書かれたものと見なし、また、この詩句を「読む」ことは、「一つの句が他の句を生み出す」その論理をたどることだと述べている。/しかし、本当にそうだろうか。例えば、転句の「諸国大名は刀で斬るが」は、「糸屋の娘が男を悩殺するという一つの属性の連想において」持ち出されたと、本文にある。おそらくそうに違いない。そうだとすれば、「糸屋の娘が男を悩殺する」が結句である以上、作句の順序は「起句→承句→結句→転句」であったと考えなければならない。つまり、この俗謡は、起句が承句を生み、承句が(ないしは起句+承句)が転句を生むというような「一つの句が他の句を生み出す」ことによって作られたというより、むしろ「起承転結」という「構図的な配置」のもとに四つの句が案出されたと考えるべきものである。≫(栗原文夫著『文章表現の四つの構造』右文書院 二〇一七 十六頁)

 

 まず上の著者の記述で、「展開」という重要な用語が一つも見られないのが不思議です。なぜでしょうか。初読のときには「いったい展開の問題はどこにいったのか」と思ったものでしたが。今では先の時枝の説明そのものが具体的な「展開」を代行しているからと考えられるようになりました。とすれば、ここで述べられている時枝批判こそ栗原氏の「展開」観と受けとってもよいのではないかと考えます。この俗謡は、冒頭の起句(大坂本町糸屋の娘、)から始まって承句(姉は十六、妹は十五)、そこに転句(諸国大名は刀で斬るが)が繋がり、そこから結句(糸屋の娘は目で殺す。)となって一篇の表現になっているが、著者の批判の要点は、作句すなわち頭の中の編集段階においては、「起句→承句→結句→転句」と考えられたものだから、これは起承転結という「構図的な配置」のもとで四つの句が案出されたものであって、「一つの句が他の句を生み出す」という時枝のいうことは当たらない、というものです。

 ここで時枝のいう「一つの句が他の句を生み出す」とは、文章形式における「継時的・線条的」性格のことを指していると考えてよければ、これは先ほども説明したように、ホイップクリームを絞り出すときの口金のようなもので表現形式の属性をいったものです。だとすれば、編集段階において、作句の順序を結句から転句を思いつこうと、起承転結という構図的な配置から思いつこうと自由なはずです。重要なことは、表現に先立ってどのように考えようとも、表現に際しては「継時的・線条的」性格をもった形式に拘束されるのであって、その結果、起承「転結」という「順序」が選ばれたということです。ここで、著者は「継時的・線条的」性格をほんの一瞬、編集段階の認識にまで含めて考えたのではないかと想像します。言い直すと表現と認識の混同です。なぜ「ほんの一瞬」なのかといえば、次頁(十七頁)で「時間とともに進行する一本の線条という説明は、それが完全に当てはまるのは、人間の脳から外化された観察可能な言語(つまり、音声化された言語と文字化された言語)に限定されるだろう」と書いているからです。

 私にとってもっと重要に思えることがあります。それは、この「ほんの一瞬」の、表現と認識の混同がもたらした影響です。くり返しになりますが、編集段階では句の後先や構造的な配置などどう考えてもいいはずなのに、あの俗謡においては、「起承転結」という「構図的な配置」によって四つの句が案出されたと結論づけたことが、「構図的な配置」のイメージを強化し文章「構造」の探求に傾斜したのではないか。その結果、文章における表現の「展開」問題を見えにくくしたのではないかと思えるのです。

 こうはいっても、著者の文章研究の方向が間違っている、などと言いたいのではありません。逆です。時枝誠記が前回の最後の引用(『日本文法口語篇』岩波全書 一九五〇)で、「文章は何よりも表現の展開ということが、その構造的特質でなければならない」と説いているように、「表現の展開」の仕方は、文章の「構造的特質」を意味しているからです。すなわちこれが、本書の記述に「展開」という重要な用語が一つも見られない理由であり、栗原氏による表現の「展開」論だったのではないでしょうか。氏の『文章表現の四つの構造』で論じられた「文章表現の原理となる構造」(第一部)と「文章表現の原理の応用」(第二部)は、「表現の展開」の幾多の契機を提示していると考えられます。言い換えれば、著者の全編にわたる文章構造の発生と形成に関する丁寧な解説が、同時に「表現の展開」の議論・解説になっていることを見逃しては、それこそモッタイナイというしかありません。いい本と出会えたことを喜びたいと思います。(終)

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 近世の実力派医師は「異虫」... | トップ | 幸五郎の相談に八右衛門はど... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。