尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

村の休み日の昂奮

2017-05-05 12:00:39 | 
前回(4/28)は、昭和十八年(一九四三)の夏から十月末の期間に東京都八王子から西にさかのぼって果ては信州の飯山地方までの純農村児童に対して行われた調査をまとめた牛島義友『農村児童の心理』(巖松堂書店 一九四七)をかいつまんで紹介しています。今は第七章「子供の生活観」の第一節「楽しいこと」を読んでいるところです。この調査によると、純農村の子供たちが楽しいと思うのは多い順に、①運動・遊び、②休日、③勉強・工作、だったことが分かりました。③の内訳をみますと、女子はとにかく「勉強している時が」楽しい(女子四八名中三一名;六五%)と答えたのに対し、男子は「工作、グライダー、船作り」が楽しい(男子七六名中五六名;七四%)という回答でした。私は昭和二七年に東北地方の純農村に生まれ、八歳までそこで暮らしていたので、小学低学年までの生活実感を思い起こすと、「女子にはできる子が多く、自分(男子)はよくもの作りをしていたな」という実感にピタリと一致します。やはり男子は工作ごとの好きな奴が多かったわけです。敗戦によって世の中は大きく変わりましたが、子供にとっての「楽しいこと」は、戦中と戦後でそれほどの変化はなかったという一例にはなります。さて今回は、戦時中の農村児童が「楽しい」と思うことの第二位「休日」の内訳を紹介します。現代の子供たちが「休日」と聞いて何をイメージするかは見当がつきませんが、戦時中はこれは「楽しいこと」の一つだったことは間違いありません。では、その内訳です。「勉強・工作」同様、男女別に見ていきます。

【(楽しい)休日の内訳】
男女それぞれが「休日」を回答した総数は、男子(八一名)、女子(八七名)。
御祭(男四七、女五五)、正月(男一七、女二四)、お盆(男四、女二)、日曜日(男四、女一)、夏休み(男九、女0)、御祝(男0、女二)、誕生日(男0、女一)、新学期(男0、女二)以上。

では著者の解説を読んでみましょう。漢字と仮名遣いは現代風に変えてあります。ただし子供の作文はそのまま引用します。

《お祭休日 村のお祭や休日も村の子供には最も楽しいものゝ一つである。就中(なかんずく)お祭と正月とが楽しみの中心である。子供の年中行事が豊かな処程斯かるお祭や行事の楽しみが多い訳であろうが、どの村に於いても村祭や正月は共通に楽しい日である。併しこの村祭が部落単位のお祭である場合は学校生活と村落生活とが一致せず、折角のお祭の日にも学校に行かなければならぬ事になる。こんな時は何となしにそわそわしい事であろう。祭の日には親類の小父さん達も招かなくても自然にやって来るし、その時には夫々(それぞれ)子供への手土産を忘れないだろう。又少しばかりのお小遣いもお祭の日に開かれた屋台店の玩具や食物をあれこれと買ってみるのに充分であろう。商人達は村の行事に非常に敏感に行動する。お祭はもとより、運動会にも賑やかに店を張るし、村の小児検診の日にさえ、風車やデンキ菓子屋が並ぶ。又お祭の日には特別のご馳走がある事も子供にとっては何よりも楽しみであろう。又女の子の場合、お祝やお祭の日にはきれいな着物を着る事が出来るのも楽しさを増すものであろう。

ケウ(今日)わ、日向のしらひげじんぢやのお祭でお宮では、たいこがどんどんとなりひゞいてきます。私わ楽しいので早く家へかえりたくなりました。そうしたら、受持の先生がケウは、日向のしらひげじんぢゃのお祭ですから三時間で日向の者は早くかへつて、お宮のそうじをやることゝ先生が、ゆわれました。私たち、みんな樂しくてたまりませんでした。みんな一番はじめは、じんぢやにさんぱいをした、それがすむとこんどはそうじをしました。(高部屋 五男)

この例の場合学校の先生のとった適宜な処置は部落の子供達を感謝させている。村の学校は矢張り、村の生活を中心にして経営して行く事が望ましかろう。
お正月も誰にも楽しいものである。村の年中行事は殆んど大半は正月の月に集中している事を考えても、村の正月は楽しみの中心である事を知る。この時は農村も一年の中で一番暇な時であるし、大人が色々と準備している年越や正月の行事を見るのも楽しい。又トンド焼きや鳥追の様な子供仲間の行事がある地方だと、一層豊かな正月を楽しむ事が出来よう。この二つの行事に較べると夏休みが大きな楽しみであろうが、村の子供には、必ずしも休みの日ではなく、却って炎天の下に農事の手伝いをせねばならぬ忙しい時、苦しい日となっているのであろう。》(牛島前掲書 一八八〜九〇頁)

村の休み日は、一年間を「ケとハレ」のリズムで編集していくための重要な契機だと思いますが、私の昭和三五年頃までの村の暮らしを 思い起こすと、やはりハレの日の印象は深いものです。父は勤め人で生業は異なりましたが、わが家は母の実家のある部落で借家住まい。正月には父と「団子刺し」(予祝行事)をしていわゆる餅花を作ったこと、旧正月のお終いには田んぼで部落みんなで「どんど焼き(左義長)」に参加して焦げた鏡餅を食べたこと、この餅を食べておくと一年間病気要らずで過ごせるのだという話は母から直接聴いた ものです。どんど焼きの大きな藁束が燃える炎が夜空に映える光景は今でもハッキリと覚えています。この時なぜか伯父の頼もしい顔が思い出されます。
キリがないですが、村の祭もお盆も「楽しかった」かどうかは曖昧です。でも親戚の人がいっぱい集まることにワクワク、昂奮していたことは確かです。つい先だって残念なことに従兄弟が亡くなりお通夜に駆け付けました。亡き従兄弟の妹たちなど幼馴染にも久しぶり会い話すができて懐かしさに満たされましたが、ふと同席していた誰かが故人が引き合わせてくれたのよ、という声に深く肯いたことでした。幼かった過去の記憶、子供だった頃の心持ちを思い出すたびに、記憶というものは「いま」を生き、「いま」を彩るものだという感慨がしみじみやって来ます。

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