尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

「おとなの注意」にひそむ階段式社会構造を批判する

2016-10-18 11:18:25 | 

 前二回(10/4、10/11)を使って、庄司和晃の「子どものコトバと行動についての諸考察」の第四章「おとなの注意と子どものふるまい」を紹介してきました。今回は、この議論に対する私の受けとめを綴ってみます。

 第四章では、大人が子供に注意を与える場合の主に二つの事例についての観察と、両者の根本的な相異を踏まえた考察が述べられています。両事例とも複数の一年生が下校途中(たぶん)で石を投げて遊んでいる場面での話です。一つは学園内の路を挟んだ崖の上下で石投げをしているところを、学校の先生をよく知る「おばさん」から危なくて路を通れないからと注意を受ける場面です。二つは、やはり路に敷いてあった小石を拾って傍の池に投げて遊んでいるところを学校事務の「おじさん」から注意される場面です。庄司はどちらもそのやりとりは「相応の味」つまり心の交流があって優劣などはつけられないけれど、根本的な違いがあると書いています。

 「おばさん」の場合は、先生という権威を持ち出して石投げをやめさせようとしているのに対して、「おじさん」の場合はあくまでも「すじみち」だった取扱いをして、それをやめさせたという相違です。後者は簡単にいえば、どうして小道に敷いた小石を池に投げて遊んではいけないか。小石は雨が降ってどろんこになってしまう小道のために、学校が高いお金をだして購入したものであることを知らせることでした。庄司は、この違いは子供の教育にとってどんな違いをもたらすかを、子供の側に立って示唆しています。そして、おばさんからの注意のようにある権威を持ち出して注意し相手に言うことをきかせるという体制は、社会一般に定着していること。これは水道工事をじゃまする子供たちに浴びせかける大人の罵声を例にとり説明していました。そして重要な指摘ですが、子どもたちが所属する学校や受持の先生の権威では効果がなくなると、ついにお巡りさんの登場になるとも書いています。

 ここから、庄司和晃が前提にした枠組が見えてきます。それは「おとなの注意と子どものふるまい」を観察し考察を加える場合、ある限定された人間関係を前提にしていることです。すなわち、いたずらをする子供たちのことを既に知っている大人が注意するというやや親密な関係です。ここにとどまらず、水道工事における大人の罵声の事例は、一般に社会はある権威をもって子供たちに注意を与えるだけでなく、一つの権威が効かなくなるともっと強力な権威を持ち出して子供を従わせるものだという社会観を前提にしていることに気付かされます。

 私はこの社会観に、庄司和晃が戦前戦中に学校や軍隊という、階段式の権威構造を備えた組織を体験してきたことが反映されていると思えるのです。どのような小さな権威からも最終的には「天皇陛下の命令」に行き着く階段式構造です。このような社会構造への批判があったからこそ、事務のおじさんのすじみちを踏まえた注意の意義を論じる必要があったと考えたいのです。その意義とはどのようなものか。以下の引用が明らかにしています。

 

≪モノごとの道理、みんなのしあわせをまもるためにつくったさまざまなきまりに権威がおかれずに、いつも自分より上にあって監督するひとに権威がおかれてみちびかれるということは、子どもにとってふしあわせなことである。

なぜなら、自分で判断し行動する、そしてそれに責任をもつ、という心づかいの成長してくるヒマがあたえられないからである。≫(『コトワザの論理と認識理論──言語教育と科学教育の基礎構築』成城学園初等学校 一九七〇 三一四頁)

 

 庄司和晃は、階段式の社会構造を前提にした「おとなの注意」は、子供にとって不幸せなことだと書いています。「子どもにとって不幸せ」という一句に少年時代の思いが込められていると感受することは、「わが小学校生活の回想」(一九五七 著作集第五巻『教育者としての青春』)を読んだ者であれば困難ではないと思います。「子どもにとって不幸せ」になるような「注意」を批判するためにはもう一つの前提が必要です。それはこういうことです。一般に社会はその秩序維持のために構成員の個々が社会のルールを自分化する必要があること、その仕方はある権威に従わせるような注意ではなく、道理を踏まえたそれに求められるべきだ、こういう社会観です。そうでなければ、「自分で判断し行動する、そしてそれに責任をもつ、という心づかいの成長してくるヒマがあたえられない」というわけです。

 私は、子供にとっての「ヒマ」こそ、現在の学校教育で保障しなければならない最重要課題だと思います。「小人閑居して不善をなす」などと考えている大人が多すぎます。このように、戦後まもなくの頃「おとなの注意」に見えかくれしている戦前戦中の階段式社会構造を批判した議論は現在においても有効だと思われます。それを可能にしたものの一つが「小学生のコトバ」研究ではなかったかと考えます。

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