尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

新語が造られる場所

2017-06-14 15:54:44 | 
前回(6/7)で、柳田国男「敬語と児童」(昭和十三)を読み終えました。敬語の真の意味や時代批判、それに叙述の仕方といい、私にとっては心に残る一篇になりました。さて今回は、同じ柳田の「昔の国語教育」(昭和十二)の最終章といってもよい「後記」の後半が残っていますので、ここに戻ってまた読んでいきます。主題は「昔の国語教育」はどこで、いかに伝承されてきたか、という問題です。


《いま一つ章を立てて、私が説いてみたいと思っていたのは、国語を護りはぐくみ、養い育てる働きを、古人はいかにして次から次へと受け継がせようとしていたかという点である。勝手に自分の知っているある一つの文学時代を取って、それを正しい標準と決めてかかり、それ以後を零落退歩と見るような考え方でならば、これにもなんらの国語教育がなかったと答えられるだろうが、我々は望みを今後に嘱する〔ショクする;託す〕と同様に以前もまた若干の人為なしに、よかれ悪しかれこの状態〔現在〕には到達し得がたかったろうと信じている。文字が一半の伝達を掌(つかさど)るようになって、語音の差別のあるものは不用に帰したとか、男が漢字ばかり書いていたために、句法の変化が鈍かったというようなことはあってもとにかく我々の表現は現代とともに綿密になっている。少なくとも時代に適した改良は加えられている。》(ちくま文庫版『柳田國男全集』第二十二巻 一二四頁)


ここでまずチェックしておきたいのは、「昔の国語教育」の伝承には代々の親たちの努力が刻印されています。そのおかげで現在の国語があるわけです。つまり「少なくとも時代に適した改良は加えられている」というプラス評価がされています。しかしその前提になっているのは、具体的には誰だか、あるいはどんな中間団体なのかもわかりませんが、柳田が批判する国語教育関係者であることはまず間違いありません。彼らは現在までの国語教育を「零落退歩」と位置づけますので、マイナス評価する勢力です。彼らを柳田国語教育論の「対抗勢力」と呼んでおきましょう。後で調べるための手がかりにしたいからです。

柳田は引用にあるように、国語が現在の段階になるまでには、代々の親たちによって改良が加えられてきたことを述べていましたが、その改良の努力の一つに「新語の増加」を挙げることができます。どんなときに新語は生まれるか。①当然ですが「新事物」が増えることです。こればかりでなく、②以前からある名称も、状態や挙動を表す新語へと一様に「分化」していきます。また③古くからあった言葉も大部分「改まり」、あるいは同義語や類義語としてストックされていきます。こうして、語彙の分量は莫大に増加していくけれども、(増加が止まないということは)なお不足していることを意味しています。

このような現象がいかなる因縁によって、またどのような人たちの手で成し遂げられたのか。柳田はすでに「新語論」(昭和九)で考えたと記していますが、他にその一部の消息は「児童の間に生まれ出た言葉」からも分かってくると言います。もっと絞った言い方をすると、新語はどこで造られるてきたか分かるのです。順を追って要点を整理してみます。

⑴子供たちが狭い仲間だけでこしらえ通用させた言葉でも、代わりにいい言葉がなければ、どしどし大人の世界にも入ってきて、ついには全国的な用語になっている。

⑵口から耳に伝わる言葉では、相手に間違いなく気持が通ずることを目標にして新たな言葉づくりが奨励されていた形跡がある。

⑶というのは、子供がこしらえたと思われる方言を見ると、間違った片言は案外少なく悪い趣味だったり粗雑であったりしても、とにかく二人以上の合意によって決められて言葉がはるかに多い。

⑷とすれば、この言葉でいいよなと合意が形成されたとき、誰に支持されたのかという疑問が生まれてくるが、柳田は、古い時代には言葉を作り出す「本能」と「模倣の心理」が手を携えて合意が形成されたのではないかと想像している。

⑸言葉はもともと自由なものだった。たとい強く使用を命じたところが、使う気がないなら黙っていられる機会は多い。とすれば言葉を創造する階級とそれを模倣する者が二つに分れる理由はない。すなわち《真似を何とも思わずにする者が同時に折々は考え出す人》(柳田前掲書)だった。具体的に言えば、《小児とか年寄とかの、心に余裕があり一事に注意を集めやすい者に、委ねられていた仕事》(同前)だったのではないか。と、こう書いています。

⑹時代が変わり都市と田舎が対立するようになると、「流行の方向」ができた。これらの中に新語の作者は存在しなかった。また遊里と文芸が結びつくようになって残念なことに、前者に「新語の卸問屋」ができてしまった。これは今でも続いている。

⑺こうなっても、人生に入用な用語の、全部はおろか半分も供給出来ない。いったいどこで言葉は作り出されていたのか。ほかにはなかったのか。

⑻あった、というより既にあった「土地ごとの言葉造り」をさかんに奨励するしかなかった。(そんな形跡を眺めてきた)

何だか狐につままれたような(といっても体験は
ないが)、一瞬にポカンとさせられますが、柳田は以上の変遷を説くことで「土地ごとの言葉造り」が見直され奨励されてきた歴史を強調したいのです。

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