昔なら医者に不治の病と宣告されると諦めて運命に従ったが、今では不治の病のような骨董品みたいな言葉を信用しないし、医者もあまり口にしない。医者は余命幾ばくを云々しても家族の方は最新医学を持ってすれば何とか治せると最後の最後まで諦めない。’死んで行くのはいつも他人’と自分の墓に刻んだ20世紀の芸術家がいたが、死んでも死は尚も他人事のように思っているようだ。生きるか死ぬかそれが問題だが、諦念と欲望が相克している。生物としての死を医学である程度左右できる時代になったことは確かだが、それに比して生への欲望も強くなり醜くなる。患部の手術が成功しても他の病気が併発して死亡すれば手術ミスとして裁判になる可能性がある。当然難しい手術を医者は避けるようになる。しかし神の手だと評判の医者の見立てには素直に従う。神であり最後の砦だから成功して欲しいが死んでもこれを是とする。医者にもオーラが必要だ。
脳死の判定の経緯が難しかった。完全死では心臓移植が出来ないし、脳死と判定されても家族としては蘇生を夢見る。また医学的に脳死と判定されても移植にするか否かは家族の問題だ。他人の臓器として新たに生きてもらいたいと願う人もいれば、死んでもいないのに体を切り刻むのは残酷だと思う人もいる。生死観に差が生じる。だから交通事故で明らかに脳死と判定されても家族は臓器移植を拒んだ。待ちきれなく未だに外国での臓器移植が盛んだ。臓器移植は国際問題だ。逡巡していると外国から見放される。
独身の老姉妹がいた。二人とも男運が悪く独身のまま高齢に達し、姉が同棲していたアル中の男の暴力に耐えかねて妹のアパートに転がり込んだ。妹の少ない稼ぎでかろうじて生計を立てていたが、姉は失業中で不幸なことに癌にかかってしまった。もとより蓄えのない姉妹は困惑し地元の議員に相談を持ちかけると、生活保護を受ければ癌の治療が無料になると言われた。議員の手配で生活保護の対象となって姉は無事手術を受けられたが、半年後に死亡した。空しい話だ。
工場の経営者が高齢になり不景気とともに廃業した。しかも長年の暴飲暴食がたたり持病の糖尿病が悪化し人工透析を週3回受けるようになった。治療費が大変ですねと尋ねるとすまし顔で月60万掛かるけど全額無料だと言う返事だった。本人はまだぼけていないから事実なんだろう。
生活保護者や高齢者に高額な治療費を請求できないし、といって助かる命を見過ごすわけにはいかない。現代医学は高度な治療さえ施せば救命や延命が可能であるが、医学処置に伴う経費の負担が国家財政の大きな重荷になっている。残された不治の病も難病認定され治療はさらに困難になり医療費もさらに嵩む。命は尊いのだ。少子化が日本の将来に影を投げかけているが、生きることすでに不安材料満載だ。十分な資産があれば別だが、皮肉にも貧乏人は放漫財政といわれる国家に面倒を見てもらわなければいけないのか。政治家や官僚たちは未だに手を打たないで、日本の暗い将来を見越して蓄財に励んでいる。日本は第2のギリシャになるのか。
夕方駅を降りるととある病院からぞろぞろと人が出て来る。かなりの人数の普段着の男女で老人たちは車で送迎されている。宗教に関係のある病院が信者を集めて集会を開いているのかと思い、診察科目を見ると神経科になっていた。男女を見てもノイローゼやうつ病を患っているようには感じられない。これが毎日のことだ。不思議な病院だ。病院をnetで調べても当たり前のことしか分からない。そして震災後帰宅手段を変えたので病院のことはすっかり忘れてしまった。
後日、生活保護者の過剰診療なる記事を目にした。腰痛のため労働不可という診断書を医者に書いてもらい、毎日通院し、往復には自転車を利用する生活保護者がいると。勿論病院も承知の上でだろうが、特に生活保護世帯に2500億も支出している大阪府に多い。これで先の病院のなぞが解けた。診療所と擬似生活保護者は診断書一つで行政の隙を突いている。疑惑の臭いがする医療費が膨らんでもでも行政は知らぬ存ぜぬ。発覚しない限りは黙って支払う。
仕事がないというが本当にそうなのか、病気で動けない人は別だが、無為に日々を過ごすことに何の抵抗もないのかとつい力んでしまう。
脳死の判定の経緯が難しかった。完全死では心臓移植が出来ないし、脳死と判定されても家族としては蘇生を夢見る。また医学的に脳死と判定されても移植にするか否かは家族の問題だ。他人の臓器として新たに生きてもらいたいと願う人もいれば、死んでもいないのに体を切り刻むのは残酷だと思う人もいる。生死観に差が生じる。だから交通事故で明らかに脳死と判定されても家族は臓器移植を拒んだ。待ちきれなく未だに外国での臓器移植が盛んだ。臓器移植は国際問題だ。逡巡していると外国から見放される。
独身の老姉妹がいた。二人とも男運が悪く独身のまま高齢に達し、姉が同棲していたアル中の男の暴力に耐えかねて妹のアパートに転がり込んだ。妹の少ない稼ぎでかろうじて生計を立てていたが、姉は失業中で不幸なことに癌にかかってしまった。もとより蓄えのない姉妹は困惑し地元の議員に相談を持ちかけると、生活保護を受ければ癌の治療が無料になると言われた。議員の手配で生活保護の対象となって姉は無事手術を受けられたが、半年後に死亡した。空しい話だ。
工場の経営者が高齢になり不景気とともに廃業した。しかも長年の暴飲暴食がたたり持病の糖尿病が悪化し人工透析を週3回受けるようになった。治療費が大変ですねと尋ねるとすまし顔で月60万掛かるけど全額無料だと言う返事だった。本人はまだぼけていないから事実なんだろう。
生活保護者や高齢者に高額な治療費を請求できないし、といって助かる命を見過ごすわけにはいかない。現代医学は高度な治療さえ施せば救命や延命が可能であるが、医学処置に伴う経費の負担が国家財政の大きな重荷になっている。残された不治の病も難病認定され治療はさらに困難になり医療費もさらに嵩む。命は尊いのだ。少子化が日本の将来に影を投げかけているが、生きることすでに不安材料満載だ。十分な資産があれば別だが、皮肉にも貧乏人は放漫財政といわれる国家に面倒を見てもらわなければいけないのか。政治家や官僚たちは未だに手を打たないで、日本の暗い将来を見越して蓄財に励んでいる。日本は第2のギリシャになるのか。
夕方駅を降りるととある病院からぞろぞろと人が出て来る。かなりの人数の普段着の男女で老人たちは車で送迎されている。宗教に関係のある病院が信者を集めて集会を開いているのかと思い、診察科目を見ると神経科になっていた。男女を見てもノイローゼやうつ病を患っているようには感じられない。これが毎日のことだ。不思議な病院だ。病院をnetで調べても当たり前のことしか分からない。そして震災後帰宅手段を変えたので病院のことはすっかり忘れてしまった。
後日、生活保護者の過剰診療なる記事を目にした。腰痛のため労働不可という診断書を医者に書いてもらい、毎日通院し、往復には自転車を利用する生活保護者がいると。勿論病院も承知の上でだろうが、特に生活保護世帯に2500億も支出している大阪府に多い。これで先の病院のなぞが解けた。診療所と擬似生活保護者は診断書一つで行政の隙を突いている。疑惑の臭いがする医療費が膨らんでもでも行政は知らぬ存ぜぬ。発覚しない限りは黙って支払う。
仕事がないというが本当にそうなのか、病気で動けない人は別だが、無為に日々を過ごすことに何の抵抗もないのかとつい力んでしまう。









