徒然草紙

読書が大好きな行政書士の思索の日々

虞美人草2

2017-04-25 18:28:34 | 日本文学散歩
 春の陽気に誘われたわけでもありませんが、春の季節を背景にした小説が読みたくなって、夏目漱石の「虞美人草」を手に取りました。
 
 漱石は、作品の最後に「悲劇」と「喜劇」について書いています。「悲劇」とは死によって突然引き起こされる生の分断のことであり、これを意識することで人間はまじめになるとしています。反対に「喜劇」とは死というものをまったく考えない生き方のことであって、その結果として人間は刹那的な享楽におぼれて堕落していくというのです。そこでは人間として守るべき「道義」などかけらもありません。あるのは、歯止めのない欲望追及社会。死はそのような歪んだ欲望の肥大化を一瞬に断ち切ってしまいます。のみならず、人間は死によって忘れていた「道義」の大切さに気付かされる、というのです。ゆえに
 
「悲劇は喜劇より偉大である。」
 
 と漱石は書きます。
 
「ふざけたるものが急に襟をただすから偉大なのである。襟をただして道義の必要をいまさらのごとく感ずるから偉大なのである。」
 
 漱石はこのようにも書いています。
 
 死というものを無いもののようにしたり、あえて目をそむけたりする生き方は、自分以外の他の存在に対する畏敬の念を失わせます。結果として、個人のエゴがぶつかりあう生きづらい社会が出来上がっていく。このような死を考えない社会の悲劇を漱石は「喜劇」と呼んで批判しているのです。ただ、批判の尺度として「道義」といういくらか軽い印象を与える言葉を使っているためか、作品の評価は高くありません。
 
 また、「虞美人草」は、後の漱石の作品群からみると人物描写が平板であって、この点でもだいぶ評価が低いです。けれども、「喜劇」と「悲劇」について書かれた部分などを読みますと、「虞美人草」は漱石文学のテーマのひとつである自我の追及という問題の入り口に立っている作品としてみることができます。個人的には好きな作品です。
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