徒然草紙

読書が大好きな行政書士の思索の日々

日本の祭

2016-12-07 16:31:10 | 読書

 柳田国男の「日本の祭」を読みました。古くから各地で行われてきた祭の変遷を辿ることで、我々日本人の精神生活の一端を垣間見ることが出来る好著だと思います。

 興味深いのは、古来、日本人にとっての信仰とは、他から押し付けられたものではなかったということです。

「いまだかつてこの神を祭れといい、その方式を改めよという類の制令を下すことなくして、天下はことごとく安んじたのである。」

 柳田国男はこのように書いています。言い換えれば、庶民の間に自然と広がっていた神に対する考え方の上に支配層が乗っかっているのが、古代からの日本における信仰の形だったということなのでしょう。もしくは、支配層、被支配層ともに「神」という存在に対して共通した認識を持っていたから、権力で縛り付ける必要がなかった、ということなのかもしれません。それが具体的な形を取ったのが「祭」というのですね。

 柳田国男が言う「祭」の根本にあるのは、神道です。詳しい教儀や体系など、私にはわかりません。ただ、我々を取り巻く全てのものに神が宿っているという考え方が、日本人の自然への畏れであるとか、他者への慎みといった感情を形作ってきたのだろうな、とは思っています。それが時代が進んでいくにつれて段々と変化してきている訳です。祭の形態についても、以前あったものが簡略化されるとともに、単なる形式に堕してしまってきている。さらには根幹となるべき信仰心も薄らいできている。この点について、柳田国男は次のようなことを言っています。
 
「一方にはただ歴史ある敬神の国是を強調することによって、永く神国の伝統を支持し得べしと、思っているらしき人がいるのである。虚礼に陥ることなくんば幸いである。」
 
 強圧的に信仰を押し付けても、どうにもならないと言っているのだと思います。この本の元となる講義がされたのは、昭和16年秋のこと。そのときですらこうですから、現在は信仰心を持って祭に臨む人はほとんどいなくなっているでしょう。このような状況について、柳田国男は良いとも悪いとも言えない、と言っています。ただ、何も知らないというのは良くない、とも言っています。
 我々日本人が、古くから共有してきた価値観について知ることは大切だと思います。けれども、祭りを通して日本古来の神々に対する信仰を復活させることは無理ですし、その必要もないと思います。むしろ現代社会においては、すでに信仰心に代わるものが祭の根本に据えられてきているといえるのではないでしょうか。将来、それが地域活性化の一つの核となるときが来るのではないか、そんなことをも考えるのです。

 
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