徒然草紙

読書が大好きな行政書士の思索の日々

オーロラの向う側

2017-06-16 18:23:35 | 読書
 スウェーデンの作家、オーサ・ラーソンのミステリー。
 
 主人公の弁護士レベッカの故郷キールナのキリスト教会で凄惨な殺人事件が発生した。殺害されたのはその教会の説教師。彼はナイフで全身をめった刺しにされ、両目をえぐり取られ、両手を切断されていたのだ。その直後に被害者の妹サンナからレベッカに助けを求める連絡が入る。レベッカはかってサンナとは親友であり、被害者と彼の属する教会とも過去につながりをもっていた。サンナを守るために事件に関わっていくレベッカに犯人の魔の手が伸びる。
 
 作品の梗概を述べればこのようなところでしょうか。続けざまに似たような殺人事件が何件か発生するのかと思っていると、そんなことはなくて、物語はもっぱら、レベッカと彼女を取りまく登場人物たちの過去から現在までの軌跡をなぞるようにして展開します。作者としてはそのような手法を取ることで、登場人物たちの性格により厚みを持たせようとしたのではないかと思います。この手法はある程度効果をあげていて、物語の背後にあるスウェーデン社会の闇を切り取ることに成功しているのではないかとも思います。何でこのようなことを書くのかと言いますと、レベッカも含めた登場人物たちがいずれも精神的にどこか壊れているのではないか、ということを感じるからです。具体的にどの点が、ということは言えないのですが、社会の規範からはいずれもずれているところがあるような気がするのです。まともな感覚の持ち主であると思えるのは、警部のアンナとレベッカの隣人シヴィングの二人だけです。この二人についてはその言動をそのまま素直に受け止めることができるのですが、他の人物については何か魂胆があるのではないか、と勘繰ってしまうのです。レベッカの性格についてもよくわからない。過去のしがらみにまとわりつかれて身動きを取ることができない弱い部分があるかと思えば、驚くほど果断で容赦のない一面を見せつけることもある。特にクライマックスで、自ら傷つきながらも銃で犯人を脅して、事件の真相をあばく場面などは、まるで大藪春彦の小説を読んでいるかのような気持ちになります。小説のなかでレベッカの過去については色々と書かれているのですが、まだ何か隠されているものがあるのではないか。そんなことさえ考えてしまいます。
 
 「オーロラの向こう側」が出版されたのは2003年。ヘニング・マンケルの刑事クルト・ウ゛ァランダー・シリーズより10年後の時代が背景となっています。クルト・ウ゛ァランダー・シリーズのなかで、犯罪のスタイルが明らかに変わってきた、という意味の言葉が何度も登場します。殺人事件にしても単純な怨恨や金銭トラブルによるものではなく、複雑で何か禍禍しい意思によるものが増えてきているといった意味なのでしょう。「オーロラの向こう側」は、その言葉を裏書しているような作品だと思います。被害者の妹であるサンナがそれを象徴しています。一見、とてもナイーブで一人では何もできないような人物として描かれているのですが、読んでいくにつれてそれがとんでもない間違いなのではないかと思えてくるのです。彼女はいわゆる多重人格ではないのか。表面的には彼女は殺人事件とはまったく無関係なのですが、実際にはどうなのか。彼女の行動が事件の引き金を引いたのではないのか。そのことを彼女は意識して行っていたのではないのか。物語はそのことを暗示するような形で幕を閉じます。人間の意識の内に潜む暗い部分が這い出してくる終り方のような気がします。この作品はシリーズになっているので、サンナがレベッカとどのように関わってくるのか、とても興味があります。もっとも、サンナはこの作品以降、登場しないのかも知れませんが。邦訳はすでに出版されているのですが、私はまだ読んでいないので何とも言えません。どちらにしても今後の展開が楽しみです。
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