「歴史の憧憬」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

『戦国時代の群像』160(全192回) 「京極高知」(1572~1622)安土桃山時代から江戸時代初期にかけての大名。丹後宮津藩

2017-07-16 04:38:15 | 温故知新
『戦国時代の群像』160(全192回)
「京極高知」(1572~1622)安土桃山時代から江戸時代初期にかけての大名。丹後宮津藩(宮津城)初代藩主。高知流京極家の祖。近江守護の名門京極高吉の次男として生まれる。早くから豊臣秀吉に仕え、その功により羽柴姓を許されて羽柴伊奈侍従と称す。文禄2年(1593年)、義父毛利秀頼の遺領を(秀頼の嫡男秀秋を差し置いて)任され、信濃飯田城主として6万石を領し、従四位下侍従に任ぜられた。また、領内にキリスト教の布教を許可し、のちに自身もキリシタンとなっている。文禄3年(1594年)、10万石に加増される。秀吉死後は徳川家康に接近し、慶長5年(1600年)には岐阜城攻めに参戦し、関ヶ原の戦いでは大谷吉継隊と戦うなどの戦功を挙げた。戦後は丹後12万3000石を与えられ、国持大名として京極丹後守を称した。田辺城に入城後、宮津城に拠点を移す。その後、領地は嫡男・高広、三男・高三、甥で婿養子の高通の3人に分封し、宮津藩・田辺藩・峰山藩の3つに分割された。嫡流は宮津7万8200石の領主となったが、3代で改易となる。その後、子孫が高家として取り立てられ、幕末まで続く。田辺藩京極家は3代で但馬豊岡へ転封となった。峰山藩京極家は幕末まで転封もなく、幾人もの若年寄を出すなど譜代格の大名として幕政にも参画した。
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