「歴史の憧憬」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

『鎌倉・室町の群像伝』四十二“近衛基通” 近衛基道(1160~1233)平安末期から鎌倉初期にかけての公卿。

2016-09-18 04:55:50 | 鎌倉室町の群像
『鎌倉・室町の群像伝』四十二“近衛基通”
近衛基道(1160~1233)平安末期から鎌倉初期にかけての公卿。摂関・関白藤原忠通の孫、摂政基実の長子。母は藤原忠隆の娘。仁安元年(1166)基実の急死後、その夫人平盛子(清盛の娘)らの後見を受け、治承三年(1179)後白河法皇が院政を停止されると反平家の公卿が一掃された。基通は内大臣・内覧・関白に任じれれた。翌年には安徳天皇の摂政に、従一位に叙されいる。公卿であったが参議・中納言・大納言と昇進が出来ず成務の未熟ゆえに関白止りで評価は低かった。平家の清盛死去後は本来なら都落ちするところ、それを拒否し、都に留まって後白河法皇の側近として仕えて後鳥羽天皇擁立に貢献した。義仲の入京都と同時にその任を解かれたが、義仲が都から追われると元の役職に復帰した。しかし平氏の親しかった経緯から叔父九条兼実をはじめとして公卿から基通に対して非難が相次ぎ、頼朝追討に義経が法皇に出させる仲介をしたとして、その張本人として全ての任を解かれ篭居されるに至った。承元二年(1208)出家し、行理と名乗る。天福元年(1233)五月二九日死去する。享年74歳。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 『戦後日本の あの日あの時... | トップ | 『鎌倉・室町の群像伝』四十... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

鎌倉室町の群像」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL