「歴史の憧憬」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

『鎌倉・室町の群像伝』九十四“新田義貞” 新田義貞(1301~13389鎌倉末から南北朝期の武将。

2016-11-07 04:22:03 | 鎌倉室町の群像

『鎌倉・室町の群像伝』九十四“新田義貞”
新田義貞(1301~13389鎌倉末から南北朝期の武将。上野国の御家人。通称小太郎。父は朝氏。正憲二年(1333)本領新田荘世良田に駐屯する幕府徴税使紀親連を捕縛し、5月8日には討幕挙兵をした。売却地に天役を賦課されたのが反逆の契機と思われている。各地の反幕勢力に推されて22日には鎌倉幕府を滅亡させた。その後、足利尊氏派との権力闘争に敗れて京都に移り、後醍醐天皇に接近し、建武政権下越後守、上野介・播磨介・近衛中将・武者所頭人となり、天皇が寵愛された。勾当内侍を下げ渡された。建武政権崩壊後は、後醍醐天皇の反尊氏の総大将に仕立て上げられるが、1335年箱根・竹之下戦い、1336年赤松攻め、湊川戦い、東寺合戦に悉く敗北し、同年10月に後醍醐は大館氏明・江田行義と謀って義貞を見捨て京都の足利尊氏と和睦しょうとしたために、事前に察知した義貞は洞院実世らと謀って比叡山上で後醍醐を包囲。恒良・尊良親王らとともに北陸敦賀を去り退勢の挽回を図った。しかし翌年3月に本拠金崎城は足利勢に攻められ落城し、恒良は捕縛され京都で毒殺された。義貞はその後、後醍醐の南朝に服したらしいが、一進一退の攻防の中1338年、藤島の灯明寺畷で戦死した。★歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。
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