「歴史の憧憬」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

『戦国時代の群像』133(全192回) 伊東長実(1560~1629)戦国時代から江戸時代前期にかけての武将

2017-06-22 05:00:35 | 史跡探訪
『戦国時代の群像』133(全192回)
伊東長実(1560~1629)戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名(外様大名)。
備中国岡田藩初代藩主。永禄3年(1560年)、尾張国岩倉の国人・伊東長久の長男として生まれる。日向国飫肥藩の伊東氏と遠祖を同じとする。
天正元年(1573年)の小谷城攻めから織田氏に仕え、羽柴秀吉配下につけられ、大母衣衆に抜擢される。別所氏攻めで功績を残して織田信長より脇差を与えられたとの記録が残る。
その後も秀吉配下として各地を転戦し、黄母衣衆24人の一人に列せられた。天正18年(1590年)の小田原征伐にも従軍し、山中城攻めの際には一番乗りを果たす活躍をし、戦後の天正19年(1591年)に備中川辺に1万300石を与えられ大名となった。
文禄・慶長の役では肥前国名護屋に駐屯した。慶長5年(1600年)6月16日、会津征伐に向かうため下野国小山にいた徳川家康にいち早く石田三成の挙兵を知らせる功績を残した。
この功績で後に大坂の陣では豊臣方として入城し、大坂七手組頭の一人として家康に敵対するものの、青木一重と共に大名として存続することを許された。殆どの豊臣方の大名が領地を取り上げられる中、この処置は異例であり、スパイ的な活動を行っていたのではないかとも考えられている。
晩年に剃髪し、宗徳と号した。寛永6年(1629年)2月17日に死去。享年70。家督は次男・長昌が継いだ。
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