「歴史の憧憬」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

『浪速史跡めぐり』「全興寺」・JR平野駅、南の町並みの入った一角に、地元も馴染み深い信仰の寺院と一目でわかる、全興寺で境内には堂塔に諸仏が祀られ

2017-06-16 04:41:48 | 史跡探訪
『浪速史跡めぐり』「全興寺」・JR平野駅、南の町並みの入った一角に、地元も馴染み深い信仰の寺院と一目でわかる、全興寺で境内には堂塔に諸仏が祀られ、開基は聖徳太子と言い、野の中にここの薬師堂だけあったという。本堂に上がる階段上に蟇股にタコの彫刻があるために蛸薬師といわれた。その他境内には珍しく「小さな駄菓子屋さん博物館」があって、地獄、極楽の分かり易い住職の工夫の参りコースが設けられ賑わいを見せている。この寺の付近は下町の「博物館」「資料館」など多くあって、また平野界隈には民家の重要文化財があって、この地の歴史を感じさせる。寺伝に拠ればこの地が広陵とした野に地に聖徳太子が「薬師堂」を建立され平野の町が開け、本尊の薬師如来は平安時代のもので脇時に月光、日光菩薩と十二神将が祀られ、堂内には大阪夏の陣の家康にまつわる「首の地蔵」も祀ったという伝説がある。この寺より四百M東の樋尻口地蔵尊には真田幸村が地雷を仕掛け、徳川家康が爆死寸前まで追い込まれたと言う。結果、地蔵さんの首がこの寺にとできたと言う。  境内には北向きの水掛け不動や「石仏巡り」やお参りに来る者に分かり易い、触れ合いの寺にしてある。だがこの寺の持つ寺歴に戦国時代の戦乱で堂塔は焼かれ、現本堂も一部は焼失万冶三年(1661)に再建されたが府内で最も古い建物である。秋深まった夕方東に向いて山門をくぐると境内の中ほどの柿の木に夕陽に映えた柿が鈴生りに実っていた。全興寺は大阪十三仏の札所、摂津八十八カ寺である。ここの辺りから東は河内の国である。
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