「歴史の憧憬」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「西国観音三十三所巡り」勝尾寺・西国23番札所“大阪府箕面市にある高野山真言宗の寺院。西国三十三所の第二十三番札所。

2017-04-24 04:35:34 | 史跡探訪
「西国観音三十三所巡り」勝尾寺・西国23番札所“大阪府箕面市にある高野山真言宗の寺院。西国三十三所の第二十三番札所。開山は開成、本尊は十一面千手観世音菩薩である。伝承によれば、勝尾寺の草創経緯は次のとおりである。神亀四年(727年)、 藤原致房の子の善仲、善算の兄弟はこの地に草庵を築き、仏道修行に励んでいた。それから約四十年後の天平神護元年(765年)、光仁天皇の皇子である開成が二人に師事して仏門に入った。宝亀八年(777年)、開成は念願であった大般若経六百巻の書写を終え、勝尾寺の前身である弥勒寺を創建した。そして、数年後の宝亀十一年(780年)、妙観が本尊の十一面千手観世音菩薩立像を制作したと伝えられる。開成の僧としての事績については正史に記載がなく不明な点も多いが、北摂地域の山間部には当寺以外にも高槻市の神峯山寺など、開成の開基または中興とされる寺院が点在している。勝尾寺は平安時代以降、山岳信仰の拠点として栄え、天皇など貴人の参詣も多かった。元慶四年(880年)、当時の住職行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行い、「勝王寺」の寺号を賜るが、「王に勝つ」という意味の寺号は畏れ多いとして勝尾寺に差し控えたという。『日本三代実録』は、元慶四年、清和天皇死去についての記事で、同天皇が「勝尾山」に参詣したことを述べており、これが勝尾寺の文献上の初見である。元暦元年(1184年)、治承・寿永の乱(源平合戦)の一ノ谷の戦いのあおりで焼失。文治四年(1188年)、源頼朝の命により、熊谷直実・梶原景時によって再建された。承元四年(1210年)には晩年の、讃岐国流罪から戻った法然が当寺に滞在している。
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