「歴史の憧憬」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「二十二社巡り」廣田神社・兵庫県西宮市にある神社。式内社、二十二社(下八社)の一社

2016-11-26 04:12:46 | 二十二社
「二十二社巡り」廣田神社・兵庫県西宮市にある神社。式内社、二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。主祭神天照大神荒魂 (撞賢木厳之御魂天疎向津媛命) 伊勢神宮内宮の第一別宮荒祭宮祭神と御同体脇殿神・住吉大神・八幡大神・武御名方大神・高皇産霊神・日本神話に当社の創建のことが書かれている。神功皇后の三韓征伐に出発する際、天照大神の神託があり、和魂が天皇の身を守り、荒魂が先鋒として船を導くだろうと言った。皇后の留守の間に忍熊王が神功皇后とお腹の中にいる皇子(後の応神天皇)を亡きものにしようと明石で待ち伏せていた。戦いを終え、帰途それを知った神功皇后は、紀淡海峡に迂回して難波の港を目指した。しかし、難波の港が目の前という所で、船が海中でぐるぐる回って進めなくなってしまった。そこで兵庫の港に向かい、神意をうかがうと、天照大神の託宣があった。「荒魂を皇居の近くに置くのは良くない。広田国に置くのが良い」と。そこで皇后は、山背根子の娘の葉山媛に天照大神の荒魂を祀られた。これが廣田神社の創建である。このとき、生田神社・長田神社・住吉大社に祀られることになる神からも託宣があり、それぞれの神社の鎮座が行われた。すると、船は軽やかに動き出し、忍熊王を退治することができた。朝廷より篤い崇敬を受け、『延喜式神名帳』では名神大社に列し、二十二社の一社とされ、たびたび奉幣勅使の派遣があった。平安時代後期より、神祇伯白川家との関係が深く、代替わりのごとに当社に参詣していた。中世には和歌の神として信仰されるようになり、社頭にて何度か歌合せが行われている。当初は甲山山麓の高隈原に鎮座し、後に御手洗川のほとりに遷座したが、水害のため、享保九年(1724年)に現在の西山の地に遷座し、戦争の空襲による全焼までは西側の廣田山に鎮座していた。戦後、その東側の現在地に移転した。★歴史が伝える伝統文化。未来に語る継ぐ。


ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 『浪速史跡めぐり』五智光院... | トップ | 「神仏霊場巡り」永源寺・滋... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL