「歴史の憧憬」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

“日本名僧・高僧伝”98・日政(にっせい、通称:元政上人(げんせいしょうにん)は、江戸時代前期の日蓮宗の僧・漢詩人

2017-07-12 04:49:57 | 温故知新
“日本名僧・高僧伝”98・日政(にっせい、通称:元政上人(げんせいしょうにん)元和9年2月23日(1623年3月23日)- 寛文8年2月18日(1668年3月30日))は、江戸時代前期の日蓮宗の僧・漢詩人。山城・深草瑞光寺 (京都市)を開山した。俗名は石井元政(もとまさ)。幼名は源八郎京都一条に地下(じげ)官人・石井元好の五男として生まれる。姉は彦根藩主井伊直孝の側室・春光院である。 9歳の時に建仁寺・大統院に入り、九厳和尚の薫陶を受ける。後に近江・彦根に移り、13歳から城主の井伊直孝に仕える。幼少から山水を愛し、たびたび京都に赴いていたところ、泉涌寺・雲龍院の如周が法華経を講ずるのを聴いて感ずるところあり、病弱なこともあって1649年(慶安2年)に職を辞し、出家して日蓮宗・妙顕寺の日豊について僧となる。中正院の日護・本性寺の日徳と交流し日蓮宗の秘奥を究めた。1655年(明暦元年)33歳で伏見深草に称心庵(後の瑞光寺)を営み、竹葉庵と号し仏道の修行に励んだ。翌年、79歳になる母の妙種を伴い身延山に参詣し、帰り道に江戸の井伊邸に母を託し、自身は日本橋に宿を取ったところ、甥にあたる井伊直澄はたびたびその屋敷に招待したが日政はそれを固辞し母を連れて京に帰った。その年に庵のそばに仏殿などを開き、深草山瑞光寺を開山し、法華経修行の道場とし、門下の宜翁を上座としてともに修行した。修行の合間に詩歌を楽しみ、熊沢蕃山・北村季吟など多数の著名人と交友関係があった。1667年(寛文7年)に母の妙種の喪を営み、摂津の高槻にいたり一月あまり留まるがその翌年正月に病を得て、自ら死期を悟って深草に帰る。日燈に後事を託して寂す。享年46。遺体は称心庵のそばに葬られ、竹三竿を植えて墓標に代えたという。辞世として「鷲の山 常にすむてふ 峰の月 かりにあらはれ かりにかくれて」という歌がある。


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