「歴史の憧憬」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「近畿三十六不動巡り」ながらの国分寺・大阪の北区は長柄の国分寺で名が通っている。

2017-07-18 04:30:09 | 温故知新
「近畿三十六不動巡り」ながらの国分寺・大阪の北区は長柄の国分寺で名が通っている。
真言宗国分寺派として本尊は薬師如来である。
また摂津国国分寺としての歴史は古く、新西国観音札所、大阪十三仏札所、摂津八十八カ寺札所、近畿三十六不動札所、西国薬師札所と近畿の巡拝の寺として五つの寺院の名刹に入っている寺は国分寺と四天王寺くらいなものである。
それほど古く由緒がる、国分寺の名は聖武天皇が諸国に配布した一国に一寺の国分寺なのであるが、創建はそれより古く、斉明朝に遡る飛鳥時代難波の宮に遷都し亡くなった。
孝徳天皇の菩提を弔うために入唐し帰国した道昭に命じて長柄豊崎宮跡に長柄寺と称して建立して、その後聖武天皇の国分寺配布の摂津の国分寺とした。
その後時の十四天皇の勅願道場として、加護もあって栄えたが夏の陣で焼失し、享保三年に再建されるが、明治の廃仏毀釈で寺領は大きく縮減され、昭和二〇年の大阪大空襲での戦災に一宇も残さず焼失した。
往時の寺宝、寺院共になくし当時の面影もないが、諸国より厚い信仰で再建され、堂塔に昭和金堂、金光明院護摩堂など整備されて所狭い境内には諸堂、諸仏が安置され下町の人々の祈願祈りが伝わってくる。
寺務所の快い対応に話が弾むものである。また四十年余り前の万博覧会の折にガスの工事の大爆発の百人以上の犠牲者の慰霊の堂もあって、この寺は地元と共にあり続けた庶民の寺と窺えるものである。


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