ひこいちの史跡探訪

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『歴史の時々変遷』2“辛亥の変”(継体・欽明の内乱) 辛亥の変(継体・欽明の内乱)は一応仮説上内乱。

2016-10-15 04:30:16 | 歴史の時々変遷
『歴史の時々変遷』2“辛亥の変”(継体・欽明の内乱)
辛亥の変(継体・欽明の内乱)は一応仮説上内乱。当時の歴史の記録っした文献資料において符合しない点が多いが、6世紀前半の継体天皇崩御とその後の皇位継承を巡り発生したと思われている。発生した年が継体天皇の崩御した時とする、辛亥の年(西暦531)時を定めて、辛亥の変と呼ぶ。『日本書紀』によれば継体天皇の崩御の年次が『百済本記』の説を採用し、辛亥の年とする説、一方異説として甲寅の年(534)と説もある。甲寅の年は次の安閑天皇の即位した年とされ、これは通常継体の没後、2年間の空白があったと解釈されている。まず最初に登場した継体の崩御丁末の年(527)、欽明天皇の即位が辛亥の年(531)として4年間の空白に、安閑・宣化天皇の在位を想定する説がある。「二朝並立」とそれに伴う全国的な内乱が推測されると言う説と、安閑天皇の崩御の年の誤りとすれば、辛亥の年に宣化天皇が崩御し、欽明天皇が即位するれば、辻褄が合う。辛亥の変の推測は皇位継承が年表の記述と符合しないので、全国的な内乱が生じたと言うことから出てきている。※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる
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