「歴史の憧憬」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

『鎌倉・室町の群像伝』八十五”北条高時“ 北条高時(1303~1333)鎌倉幕府十四代執権。正和五年(1316)在職10年間

2016-10-29 04:13:52 | 鎌倉室町の群像
『鎌倉・室町の群像伝』八十五”北条高時“
北条高時(1303~1333)鎌倉幕府十四代執権。正和五年(1316)在職10年間、父は北条貞時、母は大室流安達康宗の娘。通称相模太郎。日輪寺殿と称す。1309年元服し、従5位下、左馬権頭となり、小侍所奉行に就任。1311年10月父の死により9歳で執権北条嫡流の家督を継承、最後の得宗となる。1316年16歳で執権就任、翌年に相模守になって正式に幕府の最高指導者になる。1326年224歳に病で出家、執権を辞したが得宗としての地位は不変であった。これは当時の鎌倉幕府が得宗を中心とした専制政治体制であったことを示す。1332年評定衆から起請文を提出させ、1331年には幕府を壟断していた内菅領長崎高資の討伐を密命するなど、政治に意欲を持っていたと思われる。
しかし高資討伐が失敗すると、幕府の実権は高時より長崎高綱・高資父子や舅の安達時頼の手中にあり、高時は傀儡的地位を余儀なくされた。高時自身も田楽・闘犬・遊宴にふけることが多く、うつ病と評価されたこともある。1333年5月22日、新田義貞に鎌倉を攻め落とされて、葛西ケ谷の東勝寺で一族与党800人とともに自刃。墓所は鎌倉の宝戒寺、同寺には得宗権現像がある。※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。




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