「温故知新」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「近畿三十六不動巡り」青蓮院・京都市東山区粟田口三条坊町にある天台宗の寺院。青蓮院門跡とも称する。山号はなし。開基は伝教大師最澄、

2017-06-16 05:05:02 | 史跡探訪
「近畿三十六不動巡り」青蓮院・京都市東山区粟田口三条坊町にある天台宗の寺院。青蓮院門跡とも称する。山号はなし。開基は伝教大師最澄、本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)である。現在の門主は、旧東伏見宮家の東伏見慈晃。青蓮院は、三千院(梶井門跡)、妙法院と共に、天台宗の三門跡寺院とされる。「門跡寺院」とは皇室や摂関家の子弟が入寺する寺院のことであり、青蓮院は多くの法親王(天皇の皇子や伏見宮家などの皇族の男子で出家後に親王宣下を受けた者)が門主(住職)を務め、宮門跡寺院として高い格式を誇ってきた。江戸時代に仮御所となったことがあるため「粟田御所」の称もある。日本三不動の一つ「青不動」のある寺としても知られる。三千院、妙法院などとともに、青蓮院も比叡山上にあった房(小寺院)がその起源とされている。青蓮院は比叡山東塔の南谷にあった青蓮坊がその起源であり、門跡寺院となって山下に移ったのは平安時代末期の行玄大僧正の時である。久安六年(1150年)、鳥羽上皇の后・美福門院は青蓮院を祈願所とした。また、上皇の第七皇子覚快法親王が行玄の弟子として入寺し、以後、皇族や摂関家の子弟が門主を務める格式高い寺院となった。山下へ移転した当初は三条白川にあったが、河川の氾濫を避け、鎌倉時代に高台の現在地へ移った。ここにはもと十楽院という寺があり、青蓮院の南東にある花園天皇陵は「十楽院上陵」と称されている。歴代門主のうち、三代の慈鎮和尚慈円は歴史書『愚管抄』の著者として著名である。慈円は関白藤原忠通の子で、歌人としても知られ、天台座主を四度務めている。また、十七代門主の尊円法親王は伏見天皇の第六皇子で、名筆家として知られる。尊円法親王の書風は「青蓮院流」と呼ばれ、江戸時代に広く普及した和様書風「御家流」の源流である。室町時代には後に室町幕府第6代将軍足利義教となる義円が門主を務めた。また衰微期の本願寺が末寺として属し、後に本願寺の興隆に尽くした蓮如もここで得度を受けている。江戸時代の天明八年(1788年)、天明の大火で内裏が焼失した折、青蓮院は後桜町上皇の仮御所となった。このため、「青蓮院旧仮御所」として国の史跡に指定されている。

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