「歴史の憧憬」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

『歴史の時々変遷』7”蘇我石川麻呂の変“ 大化4年(649)3月に左大臣阿倍内摩呂が没し、その24日後に、右大臣蘇我倉山田石川麻呂の異母兄弟の蘇我日向

2016-10-25 04:39:40 | 歴史の時々変遷
『歴史の時々変遷』7”蘇我石川麻呂の変“
大化4年(649)3月に左大臣阿倍内摩呂が没し、その24日後に、右大臣蘇我倉山田石川麻呂の異母兄弟の蘇我日向は右大臣が中大兄皇子を殺害しようとしていると言う密告があった。中大兄はそれを信じたが、孝徳天皇は使者を遣わして、真偽のほどを調べようとした。右大臣は直接天皇に会って話し奏上しいと言い繰り返すだけであった。止むなく右大臣の館を取り囲んだが、右大臣は息子らを率いて難波から大和に逃げ帰った。翌日右大臣の長子は兵を集めて追手の軍勢を迎え討とうとしたが、「臣たる者がどうして君に逆らえようか。日向の為に無実の罪に陥ったのは残念であるが、今はいさぎよく死を選びたい」と言って、山田寺の仏殿で自刃した、妻子、従者も右大臣に従って自害をした。間もなく中大兄は右大臣の無実を知って大いに後悔し嘆いたと言う。それに密告した張人の日向の処罰は軽かった。日向は大宰府に下された。右大臣石川麻呂はおそらく中大兄と鎌足によって仕組まれた陰謀と言われている。中大兄の妃の造媛は右大臣の父親の死に悲しみの余り亡くなったと言う。※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。
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