「歴史の憧憬」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

『鎌倉・室町の群像伝』107“伊達行朝” 伊達行朝(1291~1348)鎌倉末から南北朝期の武将。

2016-11-20 04:28:53 | 鎌倉室町の群像

『鎌倉・室町の群像伝』107“伊達行朝”
伊達行朝(1291~1348)鎌倉末から南北朝期の武将。陸奥国伊達の地頭。基行の子。伊達 行朝は、鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。南朝側の武将として各地を転戦した。建武の新政下で陸奥守として下向した北畠顕家に従い、同国の式評定衆の一人として奥羽行政の中枢に参画した。建武2年(1334年)に顕家が足利尊氏を追って西上したときには、奥羽諸将とともに従軍し、延元元年(1336年)に帰国した。この留守の間に北朝方の勢力が盛んになり、多賀国府が脅かされると、国府は伊達氏の勢力圏にある霊山に移った。延元2年(1337年)には、惨敗に終わる顕家の二回目の西上にも従った。顕家の死後は常陸伊佐郡の伊佐城に拠ったが、高師冬に攻められ降伏した。和歌にも通じており、『風雅和歌集』などにも入集した。和歌集での掲載名は藤原朝村。顕家に従って各地を行軍、顕家戦死後も畿内・常陸国を歴戦、帰国後も奥羽南朝派を糾合したが、1347年霊山城の陥落後、足利尊氏に降った。以後の伊達家隆盛を築いた人物である。★史跡が教える先人の葛藤と情景に学ぶ教訓。
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