「歴史の憧憬」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

『河内史跡巡り』長栄寺・近鉄永和駅下車北すぐの長栄寺の寺伝によると、聖徳太子が自ら本尊の十一面観世音菩薩を刻み安置、百済系渡来僧

2017-02-22 04:39:51 | 史跡探訪
『河内史跡巡り』長栄寺・近鉄永和駅下車北すぐの長栄寺の寺伝によると、聖徳太子が自ら本尊の十一面観世音菩薩を刻み安置、百済系渡来僧の入法をもって開山・創建とし、山号は百済山と称する。本堂(吉祥伝)は慈雲尊者が38歳の時に造営。本尊の十一面観音は平安時代後期の作品で府文化財に指定されている(秘仏)。  その後、中世の幾度もの戦火で荒廃したが、江戸中期の1744年(延享元年)正法律(真言律)中興の高僧慈雲尊者が再興、当寺をその道場としたが、1825年(文政8年)正月、本堂が全焼し、同年に再建されている。慈雲尊者:江戸時代の後期、大阪が生んだ真言宗の高僧で、その徳行・教化・学問いずれも面でもわが国の仏教史上稀有の偉人であると称えられている。

1718年(享保3年)大阪中之島、高松藩蔵屋敷に生まれる。13歳にて父を失い、母の進めに従い田辺の法楽寺にて出家。その後河内・野中寺で修行。22歳で法楽寺住職となる。27歳から41歳の春まで、当山に住し、以後、当山が慈雲の活動の拠点となっている。59歳にて葛城山中の高貴寺に隠棲。1804年(文化元年)87歳、京都阿弥陀寺にて遷化。代表的著書に『十善法語』、『方服図儀』、『梵学律梁』などがある。山門では石の仁王さんが出迎えてくれる。長栄寺の境内全体が1971年(昭和46年)3月、大阪府の文化財保護条例により史跡に指定されている。※歴史の学ぶ 先人の教訓と智恵。
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