「歴史の憧憬」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「一ノ宮巡り」淡路国一ノ宮・伊弉諾神宮・祭神伊奘諾尊・伊奘冉尊 兵庫県淡路市多賀740・式内社・旧官幣大社

2016-10-31 04:04:24 | 一宮探訪
「一ノ宮巡り」淡路国一ノ宮・伊弉諾神宮・祭神伊奘諾尊・伊奘冉尊
兵庫県淡路市多賀740・式内社・旧官幣大社
『記紀』の神話によると淡路島に鎮座する伊奘諾神宮の祭神のイザナギ神とイザナミ神は日本の国の生みの親になる。
『記紀』によれば国生み、神生みを終えてイザナギ神は最初に国生みを行なった淡路島の多賀後に幽宮(くりのみや)(終焉の御住居)に鎮まった。
当社の起源になる。イザナギの終焉の地として滋賀の多賀大社がある。『古事記』であは「近江」「近淡海」とあるが淡路島は「淡海」の淡道は誤写とする説もある。『日本書紀』はあくまで「淡道」として「近江」に該当しないとしている。
記述に依れば大同元年(806)神封十三戸が充てられ、天慶三年(940)官封で五戸加増された。『延喜式神名帳』に「淡路国津名郡九座、大一座、小八座、淡路伊佐那伎神社、名神大」と記載されている。
平安時代から鎌倉時代にかけて徐々に一ノ宮の記述が現れ出し、一の宮として崇敬され認められるようになっていった。また『淡路国大田文』から鎌倉時代の初期から神宮寺が有ったことが分る。
当社の神宮寺であった妙京寺の記録に依れば、弘安三年(1280)坂上田村麻呂の子孫の田村経春は社殿を再興した。武田勝頼との戦いで先陣を命じられたが従わず切腹となった。
次に江戸時代には徳島藩主蜂須賀家に崇敬され元和七年(1621)黒印状で一宮供領十石を得ている。
その後、当社の管理を廻り、寺家と社家の主導権争いで宝暦年間に六年にも及ぶ『一宮の唯一騒動』の記載が残されている。檀家を持たず一宮領分を配分して祭礼を勤める社家六坊と別当の妙京寺の末寺六坊の存在が分る。この社家六坊は神宮寺と考えられる。その後神宮寺の改宗で法相宗とも真言宗とも言われた神宮寺が日蓮宗に改宗されそれに従わない社僧は追放されたと言う。昭和七年にイザナミ神を合祀した。又昭和昭和二十七年に伊奘諾神社を伊奘諾神宮に改められた。★『古事記』では伊邪那(いざな)岐(ぎ)神(かみ)・(国生みを命じられた神、男神でイザナミ神と夫婦、イザナミ神が出産で火傷を負って亡くなり黄泉の国に行ってしまって後を追って行くが連れ戻せなかった。黄泉国から帰還し穢れた体を禊をして多くの神を産む、最後に神生みを行なって三貴公子を産む。) 伊邪那(いざな)美(み)神(かみ)・(イザナキ神と国生み神生みをして火の神の子カグツチを産んで死んだ。黄泉の国に行った。伊邪那岐神と夫婦神 女神)※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。
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