「歴史の憧憬」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

“日本名僧・高僧伝”71・義堂周信(ぎどうしゅうしん、1325年3月1日(正中2年閏1月16日) - 1388年5月10日(元中5年/嘉慶2年4月4日))は、南北朝時代か

2017-06-17 04:48:18 | 史跡探訪
“日本名僧・高僧伝”71・義堂周信(ぎどうしゅうしん、1325年3月1日(正中2年閏1月16日) - 1388年5月10日(元中5年/嘉慶2年4月4日))は、南北朝時代から室町時代の臨済宗の僧である。「義堂」は道号、「周信」は法名であり、別に「空華道人」とも号する。土佐国高岡(現:高知県高岡郡津野町)の生まれ。1338年(14歳)、剃髪、はじめ台密を学ぶ、後禅宗に改宗し上京し夢窓疎石の門弟となる。このとき「周信」と安名された。1359年(延文4年)に幕府が関東地方の統治のために設置した鎌倉公方の足利基氏に招かれて鎌倉へ下向し1380年(康暦2年)まで滞在した。基氏や関東管領の上杉氏などに禅宗を教え、基氏の没後に幼くして鎌倉公方となった足利氏満の教育係も務めた。この間、臨川寺の五山昇位[1]問題や渡諷経事件[2]の解決に尽力しその公明正大、厳正中立な態度で各方面に感銘を与えた。帰京後、3代将軍足利義満の庇護のもと相国寺建立を進言し、建仁寺住職、1386年には南禅寺の住職となり、等持寺住職も務めた。春屋妙葩や絶海中津と並ぶ、中国文化に通じた五山文学を代表する学問僧とされる。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 「西国四十九薬師巡り」温泉... | トップ | 『歴史の時々変遷』(全361回... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL