ひこいちの史跡探訪

人生は旅・歴史は時間の旅。

「近畿三十六不動巡り」根来寺・和歌山県岩出市にある新義真言宗総本山の寺院。本尊は大日如来、開山は覚鑁(興教大師)である。

2016-10-16 04:05:27 | 近畿三十六不動
「近畿三十六不動巡り」根来寺・和歌山県岩出市にある新義真言宗総本山の寺院。本尊は大日如来、開山は覚鑁(興教大師)である。平安時代後期の高野山の僧で空海以来の学僧といわれた覚鑁が大治五年(1130年)に高野山内に一堂を建て、伝法院と称したことに始まる。鳥羽上皇は覚鑁に帰依し、荘園を寄進するなど手厚く保護した。二年後の長承元年(1132年)、覚鑁は鳥羽上皇の院宣を得て、高野山に大伝法院と密厳院を建立した。さらに二年後の長承三年(1134年)、覚鑁は金剛峯寺座主に就任し、高野山全体を統轄する強大な勢力をもつに至る。覚鑁は当時堕落していた高野山の信仰を建て直し、宗祖・空海の教義を復興しようと努めたが、高野山内の衆徒はこれに反発し、覚鑁一門と反対派は対立しあうようになった。保延六年(1140年)には、覚鑁の住房・密厳院を含む覚鑁一門の寺院が高野山内の反対勢力により焼き討ちされた。覚鑁一門は高野山を下りて、大伝法院の本拠地は高野山から根来に移った。室町時代末期の最盛期には坊舎四五〇を数え一大宗教都市を形成し、寺領七二万石を数え、根来衆とよばれる僧衆(僧兵)一万余の一大軍事集団を擁した。織田信長とは石山合戦に協力するなど友好関係を築いたが、その後秀吉に不信を招き信長没後、秀吉の雑賀攻めを招くこととなった。雑賀荘の鉄砲隊とともに秀吉方に抵抗するが各地で敗れ、以後根来寺は次第に衰退をしていった。※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 「神仏霊場巡り」鬪雞神社・... | トップ | 『鎌倉・室町の群像伝』七十... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL