「歴史の憧憬」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「京都古社寺探訪」建仁寺・京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派大本山の寺院。山号を東山(とうざん)と号する

2016-10-29 04:10:02 | 京都古社寺探訪

「古社寺探訪」建仁寺・京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派大本山の寺院。山号を東山(とうざん)と号する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は源頼家、開山は栄西である。京都五山の第三位に列せられている。俵屋宗達の「風神雷神図」、海北友松の襖絵などの文化財を豊富に伝える。山内の塔頭としては、桃山時代の池泉回遊式庭園で有名であり、貴重な古籍や、漢籍・朝鮮本などの文化財も多数所蔵していることで知られる両足院などが見られる。また、豊臣秀吉を祀る高台寺や、「八坂の塔」のある法観寺は建仁寺の末寺である。寺号は「けんにんじ」と読むが、地元では「けんねんさん」の名で親しまれている。なお、しばしば日本最初の禅寺と言われるが、これは間違いで博多の聖福寺が最初の禅寺である。日本に臨済宗を正式に伝えたのは栄西がはじめとされている。栄西は永治元年(1141年)、備中国(岡山県)に生まれた。十三歳で比叡山に上り翌年得度(出家)。仁安三年(1168年)と文治三年(1187年)の二回、南宋に渡航した。一度目の渡宋はわずか半年であったが、二度目の渡宋の際、臨済宗黄龍派(おうりょうは)の虚庵懐敞(きあんえじょう)に参禅した。建久二年(1191年)、虚庵から印可(師匠の法を嗣いだという証明)を得て、帰国する。当時、京都では比叡山(延暦寺)の勢力が強大で、禅寺を開くことは困難であった。栄西ははじめ九州博多に聖福寺を建て、のち鎌倉に移り、北条政子の援助で正治二年(1200年)に建立された寿福寺の開山となる。その二年後の建仁二年(1202年)、鎌倉幕府二代将軍・源頼家の援助を得て、元号を寺号として、京都における臨済宗の拠点として建立されたのが建仁寺である。伽藍は宋の百丈山に擬して造営された。創建当時の建仁寺は天台、真言、禅の3宗並立であった。これは当時の京都では真言、天台の既存宗派の勢力が強大だったことが背景にある。創建から半世紀以上経た正元元年(1259年)には宋僧の蘭渓道隆が11世住職として入寺し、この頃から純粋禅の寺院となる。建仁寺は、応仁の乱による焼失のほか、応永四年(1397年)、文明十三年(1481年)などたびたび火災にあっており、創建当時の建物は残っていない。※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。
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